2009.06.22 Monday
N響アワー ショスタコーヴィチ 明暗2つの顔
N響アワー:2009年6月21日放送 教育テレビ 地上デジタル
ショスタコーヴィチ 明暗2つの顔
明と暗、2つの顔をもつ作曲家ショスタコーヴィチ。20代で書かれた「ピアノ協奏曲第1番」は、明るく、イタズラ心にあふれる作品。一方、50代の作品「チェロ協奏曲第1番」はシリアスで重厚な音楽です。といったショスタコーヴィチの紹介で始まります。
ピアノ教祖曲第1番ハ短調作品35 (ショスタコーヴィチ作曲)
ピアノ:スティーヴン・オズボーン
トランペット:関山幸弘
指揮:下野竜也
[収録:2009年2月18日,サントリーホール]
チェロ協奏曲第1番作品107 (ショスタコーヴィチ作曲)
チェロ:エンリーコ・ディンド
指揮:ジャナンドレア・ノセダ
[収録:2008年10月17日,NHKホール]
管弦楽:NHK交響楽団
ー司会ー
西村朗 (作曲家)
岩槻里子(アナウンサー)
ショスタコーヴィチは1906年生まれ。ソビエト連邦時代のソビエトを代表する作曲家。
彼はシベリウスやプロコフィエフと並ぶ作曲家であり、マーラー以降の最大の交響曲作曲家として広く知られている。ショスタコーヴィチの交響曲は全部で15曲あるのであるが、彼はまた弦楽四重奏曲も15曲といった秀逸な曲を残しており、芸術音楽における20世紀最大の作曲家の一人である。一方では国家からの作風非難、また一方では社会主義を礼参する音楽の作曲強要といった、時代と体制に翻弄される環境のなでの作曲活動では暗く重い雰囲気のものがおおいのである。一方ポピュラー音楽やジャズ風な軽妙な作品を数多く残している。
当初ショスタコーヴィチは体制に迎合したソ連のプロパガンダ作曲家といわれていたが、「ショスタコーヴィチの証言」が出版されて以後、ショスタコーヴィチは皮肉や反体制といったイメージによって塗り替えられ、「自らが求める音楽と体制が求める音楽との乖離に葛藤した、悲劇の作曲家」として皮肉にも西側諸国における演奏の機会も急激に増加することになるのである。
ソ連の芸術政策に少なくとも表面上は迎合し、分かり易い音楽を多く作曲したため、難解な現代音楽が盛んであった20世紀のクラシック音楽界にあっては皮肉にも珍しく大衆的な成功を勝ち得た数少ない作曲家のひとりである。
ピアノ協奏曲第1番は1933年に作曲されたのであるが、トランペットの独奏パートは当時レニングラード・フィルの首席トランペット奏者のアレクサンドル・シュミットの手腕を想定して作曲したといわれている。初演は同年の10月15日に、ショスタコーヴィチ自身のピアノとフリッツ・シュティードリーの指揮とラニングラード・フィルの演奏によって初演され、大成功を収める。この初演の成功により、作曲家とソリストの両方を大成功に導いたのである。
次のチェロ協奏曲第1番は1959年に作曲されているが、編成においては、金管楽器がホルン1本というちょっと変則的な感じの使い方をしている。
初演は1959年10月4日、レニングラード・フィルハーモニー大ホールにおいて、本曲を献呈されたムスティスラフ・ロストロポーヴィチの独奏、エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルによって演奏された。
N響アワー ショスタコーヴィチ 明暗2つの顔
N響アワー:2009年6月21日放送 教育テレビ 地上デジタル
ショスタコーヴィチ 明暗2つの顔
明と暗、2つの顔をもつ作曲家ショスタコーヴィチ。20代で書かれた「ピアノ協奏曲第1番」は、明るく、イタズラ心にあふれる作品。一方、50代の作品「チェロ協奏曲第1番」はシリアスで重厚な音楽です。といったショスタコーヴィチの紹介で始まります。
ピアノ教祖曲第1番ハ短調作品35 (ショスタコーヴィチ作曲)
ピアノ:スティーヴン・オズボーン
トランペット:関山幸弘
指揮:下野竜也
[収録:2009年2月18日,サントリーホール]
チェロ協奏曲第1番作品107 (ショスタコーヴィチ作曲)
チェロ:エンリーコ・ディンド
指揮:ジャナンドレア・ノセダ
[収録:2008年10月17日,NHKホール]
管弦楽:NHK交響楽団
ー司会ー
西村朗 (作曲家)
岩槻里子(アナウンサー)
ショスタコーヴィチは1906年生まれ。ソビエト連邦時代のソビエトを代表する作曲家。
彼はシベリウスやプロコフィエフと並ぶ作曲家であり、マーラー以降の最大の交響曲作曲家として広く知られている。ショスタコーヴィチの交響曲は全部で15曲あるのであるが、彼はまた弦楽四重奏曲も15曲といった秀逸な曲を残しており、芸術音楽における20世紀最大の作曲家の一人である。一方では国家からの作風非難、また一方では社会主義を礼参する音楽の作曲強要といった、時代と体制に翻弄される環境のなでの作曲活動では暗く重い雰囲気のものがおおいのである。一方ポピュラー音楽やジャズ風な軽妙な作品を数多く残している。
当初ショスタコーヴィチは体制に迎合したソ連のプロパガンダ作曲家といわれていたが、「ショスタコーヴィチの証言」が出版されて以後、ショスタコーヴィチは皮肉や反体制といったイメージによって塗り替えられ、「自らが求める音楽と体制が求める音楽との乖離に葛藤した、悲劇の作曲家」として皮肉にも西側諸国における演奏の機会も急激に増加することになるのである。
ソ連の芸術政策に少なくとも表面上は迎合し、分かり易い音楽を多く作曲したため、難解な現代音楽が盛んであった20世紀のクラシック音楽界にあっては皮肉にも珍しく大衆的な成功を勝ち得た数少ない作曲家のひとりである。
ピアノ協奏曲第1番は1933年に作曲されたのであるが、トランペットの独奏パートは当時レニングラード・フィルの首席トランペット奏者のアレクサンドル・シュミットの手腕を想定して作曲したといわれている。初演は同年の10月15日に、ショスタコーヴィチ自身のピアノとフリッツ・シュティードリーの指揮とラニングラード・フィルの演奏によって初演され、大成功を収める。この初演の成功により、作曲家とソリストの両方を大成功に導いたのである。
次のチェロ協奏曲第1番は1959年に作曲されているが、編成においては、金管楽器がホルン1本というちょっと変則的な感じの使い方をしている。
初演は1959年10月4日、レニングラード・フィルハーモニー大ホールにおいて、本曲を献呈されたムスティスラフ・ロストロポーヴィチの独奏、エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルによって演奏された。