2009.04.16 Thursday
サラサーテとハイフェッツについて
先日のハイビジョン クラシック倶楽部2009年4月14日のギル・シャハムのバイオリン・リサイタル(2008年9月5日放送の再放送)を聴きました。その時の演奏曲目は
1.無伴奏バイオリン・ソナタ第2番イ短調BWV1003 (バッハ作曲)
2.ソナタ・ピンパンテ (ロドリーゴ作曲)
3.スペイン舞曲からサパテアード作品23第2 (サラサーテ作曲/
ハイフェッツ編曲)
4.チゴイナーワイゼン (サラサーテ作曲) でした。その時ロドリーゴの話は少し触れましたが、3曲目と4曲目については何も書きませんでした。今日はそのサラサーテとハイフェッツについて少し触れてみます。
サラサーテは1844年、スペインのパンプローナ生まれの作曲家であり、バイオリン奏者。
8歳で初公演、10歳の時にスペイン女王イサベル2世の前で演奏を披露。その後パリのコンセルヴァトワールで学び、13歳でバイオリン科の一等賞を得る。
1865年最初に仲良くなったサン=サーンスと演奏旅行をする。また、サン=サーンスはサラサーテに「序奏とロンド・カプリチオーソ」、「バイオリン協奏曲第3番」などを献呈している。このことで、サン=サーンスとサラサーテの関係がどんなものであったかが、想像できるのである。献呈といえば、サラサーテはこの他にも、ラロの「スペイン交響曲」、ブルッフの「バイオリン協奏曲第2番」、「スコットランド幻想曲」の献呈を受け、またその曲の初演者でもある。このようなサラサーテの華麗な名人芸の威光は凄まじく、当時のチャイコフスキーやブラームスなどにも影響を与えたといわれています。
作曲家としての作品はバイオリン曲が多いのであるが、それらの中には、スペインの民謡や舞曲の要素がふんだんに盛り込まれている。なかでもその代表がジプシーの民謡による「ツゴイネルワイゼン」である。また3曲目のスペイン舞曲からの「サパテアード」であり、そのサラサーテの曲をハイフェッツが編曲しているものを、ギル・シャハムが演奏しました。
そこで、次はハイフェッツの登場です。
ヤッシャ・ハイフェッツは20世紀を代表する史上最高の天才バイオリニストであり、「バイオリニストの王」と称され、いまだこのハイフェッツの右に出る者はいないといわれています。
ハイフェッツはロシアの現在リトアニアの首都であるビルナにユダヤ人として生まれた。彼にはいろいろとエピソードがあるが、いくつかを挙げてみるとこんなものがあります。
彼の父もバイオリニストであり、幼い頃から父がバイオリンの練習の時に音を外すと泣き出したという事やベルリンの演奏会にエフレム・ジンバリストとともに偶然居合わせたフリッツ・クライスラーが、まだ弱冠13歳のハイフェッツの演奏を聴き「私も君も、これ(バイオリン)を叩き割ってしまった方がよさそうだ」、「私の究極の到達点をスタートラインにして、無限に記録を伸ばした天才」と評価したといわれています。
そんなことで、ハイフェッツの時代にいたバイオリニストたちは、彼の神懸かりな演奏のために非常に苦労して、例外なくハイフェッツ病にかかったといわれています。
このハイフェッツについては以前にも少し触れた事がありますが、彼の演奏の録音、LPやCDも数多く小生も所有しており、昔の映画「カーネギーホール」に出演した時の事など折を見てお話をしたいと思っております。
サラサーテとハイフェッツについて
先日のハイビジョン クラシック倶楽部2009年4月14日のギル・シャハムのバイオリン・リサイタル(2008年9月5日放送の再放送)を聴きました。その時の演奏曲目は
1.無伴奏バイオリン・ソナタ第2番イ短調BWV1003 (バッハ作曲)
2.ソナタ・ピンパンテ (ロドリーゴ作曲)
3.スペイン舞曲からサパテアード作品23第2 (サラサーテ作曲/
ハイフェッツ編曲)
4.チゴイナーワイゼン (サラサーテ作曲) でした。その時ロドリーゴの話は少し触れましたが、3曲目と4曲目については何も書きませんでした。今日はそのサラサーテとハイフェッツについて少し触れてみます。
サラサーテは1844年、スペインのパンプローナ生まれの作曲家であり、バイオリン奏者。
8歳で初公演、10歳の時にスペイン女王イサベル2世の前で演奏を披露。その後パリのコンセルヴァトワールで学び、13歳でバイオリン科の一等賞を得る。
1865年最初に仲良くなったサン=サーンスと演奏旅行をする。また、サン=サーンスはサラサーテに「序奏とロンド・カプリチオーソ」、「バイオリン協奏曲第3番」などを献呈している。このことで、サン=サーンスとサラサーテの関係がどんなものであったかが、想像できるのである。献呈といえば、サラサーテはこの他にも、ラロの「スペイン交響曲」、ブルッフの「バイオリン協奏曲第2番」、「スコットランド幻想曲」の献呈を受け、またその曲の初演者でもある。このようなサラサーテの華麗な名人芸の威光は凄まじく、当時のチャイコフスキーやブラームスなどにも影響を与えたといわれています。
作曲家としての作品はバイオリン曲が多いのであるが、それらの中には、スペインの民謡や舞曲の要素がふんだんに盛り込まれている。なかでもその代表がジプシーの民謡による「ツゴイネルワイゼン」である。また3曲目のスペイン舞曲からの「サパテアード」であり、そのサラサーテの曲をハイフェッツが編曲しているものを、ギル・シャハムが演奏しました。
そこで、次はハイフェッツの登場です。
ヤッシャ・ハイフェッツは20世紀を代表する史上最高の天才バイオリニストであり、「バイオリニストの王」と称され、いまだこのハイフェッツの右に出る者はいないといわれています。
ハイフェッツはロシアの現在リトアニアの首都であるビルナにユダヤ人として生まれた。彼にはいろいろとエピソードがあるが、いくつかを挙げてみるとこんなものがあります。
彼の父もバイオリニストであり、幼い頃から父がバイオリンの練習の時に音を外すと泣き出したという事やベルリンの演奏会にエフレム・ジンバリストとともに偶然居合わせたフリッツ・クライスラーが、まだ弱冠13歳のハイフェッツの演奏を聴き「私も君も、これ(バイオリン)を叩き割ってしまった方がよさそうだ」、「私の究極の到達点をスタートラインにして、無限に記録を伸ばした天才」と評価したといわれています。
そんなことで、ハイフェッツの時代にいたバイオリニストたちは、彼の神懸かりな演奏のために非常に苦労して、例外なくハイフェッツ病にかかったといわれています。
このハイフェッツについては以前にも少し触れた事がありますが、彼の演奏の録音、LPやCDも数多く小生も所有しており、昔の映画「カーネギーホール」に出演した時の事など折を見てお話をしたいと思っております。