「ベートーベンの生涯について」の投稿も今回で終わります。
 作家ロマン・ロランが命名したといわれる、ベートーベンにとっての「傑作の森」と呼ばれる時期が、1804年頃に交響曲第3番を発表したのを皮切りに、その後10年間にわたって中期を代表する作品が書かれたのである。
 40代に入ったベートーベンは次第に体調の悪化が現れてくるのであるが、その間恋愛事件や甥のカールをめぐる養育権争いなどもあり一時作曲が出来なくなる時もあった。それらを経て作られた「交響曲第9番」や「ミサ・ソレムニス」といった大作や、数多いピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲等の作品群は未曾有の境地の高さを示すことになる。
 1826年12月に肺炎を患ったことから病状が急激に悪化をきたし、ベートーベンはついに昏睡状態に陥りました。9月7日の朝日新聞に「ベートーベンの死、肺炎薬がアダ?」という記事が掲載されました。
 ベートーベンはアルコールを飲み過ぎての肝硬変が死因の大きな要因だといわれていましたが、その時の新聞によると、死ぬ前の約4ヶ月にかかった肺炎の治療が死期を早めたというのです。オーストリーの法医学者が遺髪を鑑定したところ鉛の成分が検出されたということです。
 当時の肺炎治療薬には鉛が含まれていて、医師は肝硬変の進んでいたことを知らずに、普通に行われていた方法で治療したため、体内の鉛の量が増えて肝臓が機能しなくなり、死に至ったというものです。もし他の治療をしていたら数ヶ月は長く生きたかも知れない、とのこと。
 また、ベートーベンは若い頃から苦しんできた聴覚障害は鉛中毒の疑いもあるとのことです。
 その後、1827年3月26日、56歳で波乱万丈の人生を閉じることになるのです。
 ベートーベンの死の目撃者であるアンゼルム・ヒュッテンブルグは死の瞬間について次のように語っています。
 「ベートーベンは臨終のあえぎをみせて、意識もなく横たわった。5時頃、ものすごい雷の一撃がとどろいた。同時に稲妻が部屋を照らし出した。家の前の土は雪に覆われていた。私自身もはげしく驚かせたこの異常な現象に、ベートーベンは目を大きく見開いた。彼は右手をあげ、握りこぶしをかため、凶暴で威嚇するようなようすで数秒間点の一角を睨みつけていた・・・彼の手がふたたび寝台の上におちたとき、彼の目は半ば閉ざされていた・・・」