◇クリスティーナ・エイミー・ロス

 

 

 ハッピーバースデーの歌と共に貰ったプレゼントの箱の中には、綺麗なサテンの臙脂色のリボンがかけられていた。お父さんが私の為にと大きな街で買ってきてくれたものだ。凛々しく咲くダリアの花のように華やかで可愛らしい長方形の箱を、私は小さな手で開ける。リボンをゆっくり解いてみると、中には薄い松葉色の眼に、プラチナブロンドの髪をした人形が入っていた。まるで本物の人間のようだが、触れてみると硬い。木よりも硬くガラスのように乾いた音がするのだ。それだけではない。桜色の、私が着ているものよりも華やかなドレスに長い巻き髪。艶々に磨かれた鳶色の靴。服にはボタンが付いていて、着せ替えることもできる。私はとても嬉しくて、ぎゅっと抱きしめた。彼女にはコニーと名付けた。今日から私のお友達だ。街の学校にも仲良しの友達は二、三人いた。けれど、ずっと傍にいてくれるのはこの子だけ。楽しい時も、嫌なことがあった時も、一緒にいてくれる一番の友達だった。今日も私はコニーを抱きしめ、一緒に本を読む。私の好きなお話を、彼女はじっと聞いている。夕方の、朱色の陽光が私達を優しく包み込む時間。二人っきりの秘密の時間だった。まだ六歳の頃のことだ。

 

 

 

 私は何かと厳しいお母さんよりも、優しいお父さんのことが大好きだった。けれど叱られるのは嫌だったし、誰かが叱られるところを見るのも嫌だった。私の家は街の学校よりも大きくて、何人もの黒人奴隷がいるが、家事や身の回りの世話をしてくれるのはブレンダとデビーの二人。残りの奴隷達は綿花農園で僅かばかりの土地を借りて働いていた。彼女達二人は、市場で鎖に繋がれていたところをお父さんが連れてきた。ブレンダは特に酷く鞭で打たれていたらしく、今でも怯えた様子を見せることがある。それまでは白人のメイドさんが一人いたけれど、お父さん曰く『身籠った』という理由で故郷に帰したようだ。まだ私が四つの時のこと。この二人のメイドさんと私達は、かれこれ五年くらい一緒にいた。ブレンダはとても料理が上手くて、彼女が焼いてくれたケーキはとても美味しい。前にお父さんとお母さんが連れて行ってくれた町のレストランにあるデザートと同じくらい、甘くて美味しかった。その時私は口の周りにクリームでサンタさんみたいなヒゲを描いていたような覚えがある。それを見たお父さんは私の口の周りを拭いてくれた。それと同じくらい、ブレンダのおやつは大好きだ。口の中に入れた瞬間に、とろけるような優しさが舌を包み込む。それがクッキーだろうが、ホットケーキだろうが、変わらない。だから私はブレンダのことが好きだ。でも、ある日お父さんが彼女の背中を鞭で叩いているところを私は見てしまった。学校から帰ってきた時、怒鳴り声が聞こえてきたのだ。おばさんの悲鳴が、悲しい声が私の耳にも入ってくる。

「申し訳ありません!申し訳ありません!」

「お前のような奴は誰のお陰で生きられると思っているんだ‼︎今度同じようなことをしたら、次はこの程度では済まないと思え‼︎」

庇ってあげたい。けれど足が震えて動かない。私は何も見なかったことにして二階への階段を駆け上がった。仕方ない。ここ南部ではごく当たり前のことだから。こんな光景は何も私の家だけの話ではない。文字(アルファベット)の読み書きを知らなかった頃から教えられた。学校にも黒人はいない。先生は勿論のことクラスメイトにも。本来なら私達とは住む世界が違うし、奴隷は人ではないのだから。北部には『自由黒人』と呼ばれる黒人がいるらしいが、私達には関係ないことだった。それでもあの悲しい声は出来ることなら聞きたくない。胸が締め付けられるからだ。

 

 

 

 

 

 コニーが家に来るまでの私はいつも屋敷の中を駆け回っていた。八畳ほどの自分の部屋の中に目立ったおもちゃはなかったように思う。私の為に、と母が絵本を沢山買ってきたので本棚の中には沢山の童話や絵本があって、少し前までは母が枕元で読み聞かせてくれたものだ。子供部屋の中にはちょっとだけ豪華な装飾のベッド、机の上にはアルファベットの積み木にペンと学校の教科書しかなかったからとてもつまらなかった。学校に入ったばかりの頃はお人形を持っている子が羨ましく思えたくらいに。ベッドはマホガニーやオーク程上等な木で出来ている訳ではなく、白木のベッドで宮はない。机も椅子もそこら辺のものより上等だったが、幼い私にはにつかわしいと思えない程重厚に見える。そこにランプとブックエンドがあり、教科書はそこに収められていた。お父さんの部屋にも本が沢山あったが、文字ばかりで絵が一つもないからか、私には読めなかった。一度ベッドの上で飛び跳ねた時にはお母さんに叱られたこともある。あの時は毎日が幸せだった。雨の日だって雪の日だって、私の心の中は春のお花畑のように明るかった。目に映るもの全てが輝いて見えたのだから。たまには転んだこともあったけど、そんな時でもにこにこしている。それが私の毎日だった。

 

 

 

 

 そんなある日、私の家に手紙が届く。お父さんの署名が滑らかな字で書かれたそれを見るなり、お母さんは丁寧に封をペーパーナイフで開けた。食事用のナイフのように見えて、実は刃先にギザギザはついていないので、私もたまに借りては使っている。中を見るなり、彼女は泣き出してしまった。そして私に、

「クリス、お父さんが死んだわ。明日はお葬式。これがお父さんに会える最後の日だからね」

私は一瞬何を言われたのか分からなかったが、気づくと目頭が熱くなっていた。彼が生きていた最後の日を思い返してみる。私の名前を呼んで、頬にキスをしてくれた。行かないで、と大きな躰にしがみついたのに。彼は行ってしまった。

「行ってくるよ」と一言だけを残して。

 

 

 

 

 

 

 既にもう、お父さんが冷たくなってから三日は経っていたようで、私はお母さんに連れられて町の教会へ行くことになった。鏡に映るのは墨色一色の、夜の暗闇よりも暗い色のドレスを着た私。靴にもドレスにも、リボンはおろかフリルの一つもない。デビーが全て着せてくれたけれど、ドレスの下にコルセットは着ていない。お母さんは着けているのに。私はまだ小さいから着けさせて貰えないのだ。お父さんに見せてあげたかったのに。そんな日が二度と来ないことを知ってか知らずか、堪えきれずに私の眼からは涙が零れ落ちてきた。

 

 

 

 

 小さな教会に通じる道は、雨が降っているせいか道端の花達でさえ元気がない。躑躅(つつじ)の花は茜色に咲き誇りながら、暴力的とさえ言える大粒の雫に打たれている。その姿はどことなく気高さを感じるが、お母さんに手を引かれて花から離されてしまった。彼女は黒い傘を差しながら私の手を引っ張る。右掌が冷たくなるけれど、傘のおかげか髪が濡れることはなかった。そのまま十分くらい歩いてから、遠目に十字架が見えてきた。日曜日ぶりの教会だ。今日は木曜日の筈だけどそうは思えない。大きな扉を開けたその向こうには、私とお母さん以外にも知らない人が沢山いた。皆黒いスーツのような服を着ていて、殆どが男の人ばかりだ。私達以外の女の人も二、三人いたけれど、背の高い男の人ばかりが長椅子に座っていた。啜り泣く声があちこちから聞こえてくる。私も、お母さんも、一緒に泣いていた。大きな優しい手が、私の手を優しく掴む。いつもは厳しいお母さんの手が、この日、初めて温かいと思った。黒く磨かれた棺の中にいるお父さんは、白くて綺麗な服を着ていて、白百合の花に包まれている。まるで花の中で眠っているようだけど、頬に触れるととても冷たい。それに、お父さんには左腕がない。右腕は確かにあって、袖口からは手も出ているのに、シャツの左は萎んでいるようにさえ見える。それを見た私は、

「お父さん‼︎お父さん‼︎どうして、どうしてよぅ……」

思わず泣き叫んでしまった。もうお父さんは帰って来ない。初めて知った。これが『死』なのだと。やがて、恰幅のいい初老の神父さんが祭壇にやってきて、聖書を開くと、聖句を唱える声が聞こえ始めた。それでも私は泣いたまま。外では今も雨が降り続けていて、空も灰色のままだ。きっと今日中に止むことはないだろう。私の心と同じように。

「あなた、どうか安らかに、ね……」

お母さんは泣きながらそう呟いた。

 

 

 

 それから二、三日の間は何を見ても灰色にしか見えなかった。陽の光が差す丘でさえも私には鮮やかには見えない。大事な筈のコニーが心配そうにこちらを見つめていても、私は話しかける気にはならない。窓から外を見てみると、土と僅かな小石ばかりの道があるというのが分かる。今は二日続いた雨の所為で小さな水溜りがあった。土が、乱暴に塗りたくられたチョコレートのように固まっていて、浅い窪みには今にも干上がりそうな水溜り。何故か私はそれが気になり、駆け出した。長い廊下に曲がりくねった木の階段を。玄関のドアを勢いよく開けると、目と鼻の先にそれはあった。小鳥の囀りも柵の上の蝸牛も振り払って、私は水溜りへと近づく。ごく普通の、キラキラとした星のような小さな光が舞う澄んだその中には、私の顔が映っている。お母さん譲りの亜麻色の髪と鳶色の眼。短く後ろがきりそろえられていて、その一部がリボンで結ばれていた。デビーが町で私に似合いそうな色を選んでくれたのだ。お気に入りではないし、今日出会ったばかりの色だけど、私は気に入っている。そよ風が私の髪を撫で、水面が揺れる。そのうちゆっくりと蒲公英の綿毛が水の中に沈み込んだ。土で濁ったその中に私が足を踏み入れると、パシャリと小さく水が跳ねる音がする。刹那、水溜りから光が溢れ出し、私は光に包まれた。眩しさから眼を瞑り、次の瞬間には見たこともないところにいた。

 



 

 

 

 周りには鏡がある。色々な形をしていて、色々な枠にはまっているそれらは全てが全て浮いていた。窓のような形の鏡や、長い四角の鏡。円い鏡もある。少し歩いていくと乾いた音が辺りに響いていく。私以外にはここに誰もいないのだろうか。大理石の床を見遣ると、私の姿が映っている。灰色なのに鏡のようだ。歩いても歩いても鏡ばかりで、それ以外は何もない。壁でもどこでも鏡だらけ。私はずっとここから出られないままなのだろうか。そう思うと、目頭が熱くなってきて、長いスカートの裾が濡れていくのが分かる。手も足も震え、私の泣き叫ぶ声が広間の中全体に響き渡った。その叫びに応えるようにして、奥の鏡から優しい光が溢れ出す。金にもレモン色にも見えるその光は、子供一人がやっと入れそうな大きさの、窓のような形の鏡から放たれているようだった。私は鏡よりもずっと小さな掌でそれに触れる。漸くここから出られる、独りじゃなくなる。そんな想いで胸がいっぱい。何も知らない私は前へと踏み出した。

 

 

 

 

 光の向こうにあったのは森だった。けれどいつもと様子が違う。懐かしい茜色の空を駆ける黒い影はいない。小さな花達は私が知るそれとはほんの少しだけ違う。プリムラのように見えるが、見たことのない形をしていて少し大きい。白詰草もあるが、何故か四つ葉ばかりが生い茂っていた。小さな茂みの方を向いてみると、何かガサガサと音がして揺れている。

「何⁈怖いよ‼︎助けて、お母さん‼︎」

私が叫ぶと同時に、

「キミは誰?見ない顔だね」

可愛らしい声が私の耳に入ってきた。声からして三、四歳くらいの男の子だろうか。恐る恐る振り向くと、目の前には若い果実に小さな足がついたような生き物がいた。円な瞳でこちらを疑いもなく見つめている。

「わ、私はクリス!本当はクリスティーナっていうんだけど、みんながそう呼ぶの……」

「ぼくはピピモン!クリス、キミを待っている人がいるんだよ」

「待ってる人?あなたは違うの?」

「……ぼくもクリスのことずっと待ってたよ。でも、ぼくよりも心強い人は確かにいるんだ」

私はピピモンの後ろをついて行く。強い風が私の髪に、頬に吹き付ける。小さな緑玉は足を踏みしめながら吹き飛ばされそうになるが、力が及ばないのか転がってしまう。私がなんとか彼を抱きかかえたことでその心配はなくなった。獣道を歩いていくと、その向こうに何かが見えてきた。

「あっちだよ!クリス」

「あっちに何があるの?」

彼は何も答えない。少なくとも出口ではないことは確かなようだが。私はゆっくりと、出来るだけ音を立てずに歩く。怖いから?それだけではないのかもしれない。けれど、私は少しずつ進んだ。

 

 

 

 

 進んだ先にあったのは、睡蓮の花がところどころに浮かぶ、虹色に輝く澄んだ泉。それと、人一人がゆったり眠れそうな広さのベッド。枕とシーツ、かかっている薄いタオルケット全てが白い。ベッドそのものも白く塗られていて、渦巻き模様の飾りが付いているがどこも錆び付いていない。まるで最初から私を待っていたかのように新しいまま。泉のすぐ近くに誰かがいるけれど、遠目から見ても人間には見えなかった。鎧を纏った大きな彼の表情は、後ろを向いていることもあり分からない。足元の草を踏む音に気づいた彼は、こちらを向き、

「……待っていたぞ。悠久にも近い時間、ずっとずっと」

威厳のある、絵本の中の神様を思わせる低い声で私に語りかけてきた。

「ピピモン、ご苦労だったな」

「えへへ、ありがとう!」

私の腕に抱かれている緑玉は、目の前の騎士に礼を言った。とてもにこやかで嬉しそうだ。

「して、娘。名を申せ」

「わ、わ、私⁈クリス!クリスっていうの!」

「……クリス?それがお前の名だというのか」

「あなたは……?」

「好きに呼べ……。私に名などない。忘れられて久しいからな」

「それじゃ……、私が決めていいかな?ピピモンも、ね?」

 

 

 

 ◇ゼフィ(ブルムロードモン)

 

 その日、私とピピモンは生まれて初めて名前というモノを貰った。幼い少女の手で『ゼフィ』と名乗ることを許されたのだ。小さな果実には『フィル』と名付けられた。どちらも清廉な意味が込められているらしく、特に私の名は、庭に咲いていたという白い花から取ったのだという。花言葉は『清らかな愛』。その名を与えられた時から、私は彼女への愛に目覚めていたのだと思っている。クリスの前へ跪き、驚き戸惑う彼女の小さな手の甲へ接吻をする。何故だろう、目頭が熱くなり嗚咽が漏れる。同時に目の前の少女が愛おしく感じられ、太く大きな手で抱きしめた。亜麻色の短い髪を撫でると、彼女も細い腕で抱きしめてくれた。その日から私達の紲が形づくられたといってもいい。小さな貴人。魂の双子。護るべき者を漸く見つけられた私の心は晴れ晴れとしていた。

 

 

 

 

 クリスはベッドにちょこんと腰掛けると、フィルを膝に乗せた。私が、辛うじてだが座れるようにしてくれたのだろう。少し不安そうな顔をしているが、緑玉の眼は少女に向き、にこやかな笑顔をたたえている。見たところ、彼女は齢十にも満たず、私よりも遥かに背が低い。それは隣に座っていてもはっきりと分かる。心なしか、フィルを抱きしめる力が僅かに強くなっていく。同時にゆっくりと眼が細められていき、涙がぽろぽろと零れていった。啜り泣く声は私の耳にも届くが、私には髪を撫でてやることしか出来ない。

「帰りたい、帰りたいよぅ……!お母さん……」

「……気持ちは分かるが、鏡の道を通ってきた以上二度と帰れないと思っておいた方がいい」

「学校の、アリスともナンシーとももう会えないの?遊べないの⁈」

「……仕方がない。だが、クリス。お前には私もフィルもいるではないか」

「そうだよ‼︎ぼく達がいるじゃない」

それでもクリスは泣き止まない。泣き腫らした顔をこちらに見せている。今夜はずっと彼女の傍にいようか。膝上のフィルも困った顔をしている。私は泣いている少女を置いて、井戸のある小屋へ向かった。

 

 

 

 

 納屋や家畜小屋。見覚えのある人間であればそう形容出来そうな小屋の中には、水差しやマグカップ、それと三人で分け合えば一年は保つ量の食料がある。柵で隔てられた向こう側にはポンプ式の井戸が、入り口側の木の棚の上には缶詰とビン詰ばかりが並んでいる。ビン詰の中には海苔の佃煮やジャム、リキュール漬けのさくらんぼ、オリーブの酢漬けといったものがある。床に目を遣れば、飯盒や薪もあった。円い筒のような形で、一見すると菓子などを入れる缶のように見える。私は泣いている少女の為に、粥の缶と海苔の佃煮のビン、それと豆のスープ缶を棚から取り出し、飯盒と一緒に外へ持って行った。泉の近くで火を焚き、少しずつ薪を焚べていく。外はもう暗くなっていて、僅かに星が空に瞬いていた。こうなるとランタンが必要になってくる。ついでに井戸から水を汲んでこなければならない。幸い、この井戸はそのままでも飲める水だから、小さな少女が腹を壊すことはないだろう。マグカップの中に水を注ぎ、それを小さな少女の元へ運んでいくと、彼女は私の手からカップを受け取り、小さな口で少しずつこくこくと飲んでいった。飯盒の中には缶詰の粥が入っていて、それをほんの少しずつ温めていく。中蓋の中にはスープを流し入れ、銀色が濃いコンソメの色に染まっていった。茶色い浅瀬に澄んだ水を注ぎ込み、熱を加えれば豆のスープは完成だ。

 

 

 

 

 ランタンの中では焔が熾り、小さくとも苛烈なそれに照らされながら私達は食事を始めた。スプーンでビンの中から海苔を掬い、それを粥の上に乗せてやると、クリスの顔が急にしかめ面になった。

「……何コレ。ヘドロ?気持ち悪いんだけど……」

「食べてご覧?粥と一緒に口に含めば更に美味く感じられるだろう」

恐る恐る少女は佃煮を一口掬い、口に運ぶ。その刹那、はっとした表情を見せた後に、穏やかな笑顔がひょっこりと現れた。

「甘くて、お粥にもとっても似合ってるよ!見た目さえ気にしなきゃイケる!」

器の中を見ると、十分の一くらいだろうか。ほんの少しだけ減っている。きっと気に入ったのだろう。膝上のフィルの頬には、半ば糊と化した米粒が付いているが、彼もまた朗らかな笑顔を見せていた。私が見守る中、二人は海苔を混ぜた粥を分け合っている。食べ終えた後は白く薄いボウルが空になっていた。二人はスープの器に手を伸ばした。ほんの少しだが湯気が立ち上っている。私はまだ粥を食べ終えていないのだが、二人が笑いながら美味しそうに食べているのを見ると、自然と美味しく感じられる。クリスの眼からはもう涙が去っていた。

 

 

 

 ◇フィル

 

 クリスもぼくも泉の外には出られない。ゼフィに出るなと言いつけられているし、彼が必要なものを全て用意してくれるからだ。ぼくはクリスとボール遊びをしていた。黄色の、よく弾む柔らかいボールを蹴ったり、ぼくが頭で返したり。くるぶしまであるスカートで走り回る彼女はぼくより足が速く見える。草を踏みしめるのが精一杯のぼくよりしっかり立っている。そのうち遊び疲れたのか、彼女は芝生の中に座り込み、周りに咲いている蒲公英(たんぽぽ)を摘み始めた。黄色い蒲公英の中に白い蒲公英がぽつぽつと混ざっている。キラキラとした眼で白いのを見ると、彼女は茎を半分折った。そのうちゼフィが買い出しから帰ってきて、少女は摘んだ花を全て彼に差し出す。大きな手で優しく受け取った彼は小屋へ向かった。そのお礼なのか、クリスの小さな掌には髪留めがある。針刺しのような見た目の茶色いソレを、彼女は早速髪にくっつけた。あまり上手く行かなかったのか、真っ直ぐではなく細い一束が巻き込まれたような形になっている。戻った騎士は、

「よく似合っている」

と彼女の髪を撫でていた。

 

 

 

 

 嬉しそうに駆けていく小さな少女は突然倒れてしまった。転んだのかとも思ったが、起きあがろうとしない。どうも様子がおかしい。ぼくが近づいてみると、苦しそうにしている。

「クリス、大丈夫⁈ぼくだよ!フィルだよ‼︎」

「うぅ……」

ゼフィは悲しそうな顔で少女を見つめている。

「何故、何故この子が……!漸く巡り会えたというのに‼︎」

小さな躰をベッドに運ぶが、そこにはいつの間にか禍々しく黒い荊が周りに生い茂っていた。ゼフィが横たえてやると、荊がクリスの躰を持ち上げ、締め付けるかのようにして巻きついていく。騎士はぽつりと呟いた。

「……封印だ。この地に悪しき者の意思が蠢いているのかもしれん」

「……そんな!クリスと遊べなくなっちゃうの⁈」

「破る手立てさえ有れば彼女は目覚める。だが、我々にはもはやどうすることも出来まい」

「どうすれば、いいの……?」

泣き喚くぼくをゼフィが優しく抱きしめる。きっと今のクリスにはぼく達の声一つ聞こえてはいないのだろう。苦しそうに眠る少女の瞼からは一筋の涙が溢れていた。

「クリス、我々がお前を目覚めさせてみせる」

ゼフィは小さく細い腕を握って呟いた。