太陽の光は苦手だ。妹(こゆき)の中にいる以上、人間として扱われるので起きねばならない、というのは理解しているが。ブランはあんなことがあったというのに、変わらず朝になると起こしてくる。こゆきの小さな躰を揺さぶりながら。私の眼は未だに閉じたまま。少女のオリーブ色の眼は眠たそうにゆっくり開き始めていた。時計を見ると朝の八時。彼女はふわふわしたものを抱えながら躰を起こし、伸びをする。ふわふわの正体は、かつて私が与えてやった白とも生成色ともつかぬ、目を閉じた羊のぬいぐるみだった。いつもなら、寝間着は年頃の少女が着るようなデザインの、すみれ色のものを着ている筈だが、何故か今日は違う。明らかにサイズが合っていないし、上だけなのだ。袖は余っているし、下に下着(スリップ)は着けていない。何故そんなはしたない格好が出来るんだ、この小さい妹は!それは私のシャツだというのに。しかも一番上までボタンを留めていないので目の遣り場に困る。幾ら胸が小さいからといって、彼女は十四歳。恥ずかしいとは思わないのだろうか。ブランがこゆきに抱きついた所為で、彼女は後方に倒れてしまった。淡い水色のズロース以外は、下に何も身につけていないことがこれで明確になってしまった。白にも近い、銀の髪の隙間から見える視界は、少女の白い肌を確かに映している。事実上この部屋には女しかいないとはいえ、恥ずかしいものは恥ずかしい。少し経ってから、彼女は白いフリルのブラウスと紺のミニスカートを穿き、首元には細い紫色のリボンタイを締めた。ガーターリングで黒いニーハイソックスを吊り、リボンで髪をいつものように結べばまた同じような一日が始まる。

 

 

 

 窓の外はもう少しで冬に近づこうとしている。木の葉は大半が枯れ落ち、枯れた草が強い風になぶられている。つむじ風もあり、この日は比較的寒そうな印象があった。少女達の談笑は嫌でも耳に入ってきたが、不思議と心地よく感じる。それはそうだ。我は今、小さな少女の膝の上にいるのだから。艶やかな綿のスカートはまるで白いシーツのような柔らかさがあり、我の小さな躰を包み込んでくれる。藍色の袖から覗く小さな掌は、目の前にいる銀の少女とおはじきで遊んでいた。鮮やかな色は、どんな写真やカラーフィルムよりも輝いて見える。ビンの中に入っていたおはじきは全て取り出され、さながら青い絨毯の上はガラス玉が沈む海のようだ。当然ながらビンの中は空っぽ。試験管のようにも見えるソレは、クレヨンや描きかけのスケッチブックと一緒に、並んで机に置かれていた。

 

 

 

 

 陽が傾き始め、柱時計の針が四時半を指す手前のこと。絨毯の上に広げられた色とりどりのおはじき玉が、木漏れ日でキラキラと輝いている。さっきまで四人で仲良く遊んでいた筈なのだが、こゆきは急に何かを思い出したように本棚から何かを取り出した。本ではなく、薄い冊子のようなものだが。彼女は最後の方のページをめくると、中に挟まっていた、赤くて薄いシート状の円盤を取り出した。シートとは言ったが、真ん中には穴が開いている。

「それ、なぁに……?」

「レナータちゃん、知らないの?ソノシートだよ。プレーヤーにセットすればね、こうやって音楽が聴けるの」

そう言って彼女は、ソノシートを背の低いチェストの上にあるレコードプレーヤーの上にセットし、針を整えつつ再生した。多少ノイズが混じっているが、部屋の中が徐々に美しい音楽で満たされていく。クラシックという訳では無さそうだ。昔ながらのコーラスに近い民謡か童謡だろうか。聞いたことのない言語で構成されているが、不思議と美しく聞こえる。彼女はブランを頭に乗せたままベッドへ行き、枕元にある羊のぬいぐるみを持って絨毯の上に戻ってきた。おはじきは弄っていないし、そもそもレナータの膝に乗ってからは触れてもいない。そのうち片付けるだろうと思っていたからだ。我の予想通り、彼女はすぐに遊びの続きをしに戻ってきた。

「こゆき、その曲気に入ってるの……?」

「昔よく聴いてたんだ。今でも時々聴きたくなるんだよ」

二人ともおはじきそっちのけで音楽を聴いている。仕方がないので、散らばったおはじきは我が片付けることになった。少しだけだが、ブランも手伝ってくれる。妙に大きなビンは、全てのおはじきを入れて尚まだまだ余裕で入ってしまいそうだった。

 

 

 

 空が藍色と朱色のグラデーションを描き始めた頃、二人は雑誌を仲良く読んでいた。十代の少女が好みそうなデザインの洋服の写真がいくつか載っているものの、その全てが清楚なもので、どこか古めかしささえ感じられる。動きやすさよりもお洒落さに重点を置きつつも、シンプルなデザインのそれは、レナータにとっては新鮮に映るだろう。

「見て、クロ……。これ……」

「ん?何だ?」

レナータが指差した方向には、いかにも彼女が好みそうなデザインの服の写真が載っていた。紺の丸襟のワンピースだが、膝丈程度で、裾の辺りには白いラインが一本入っている。服のどこにもフリルはついていない。

「そなたはそんなに『ラフな格好』とやらになりたいのか」

「……動きづらいのは、や」

「ルナが悲しむだろうし、そなたにそんな格好は似合わぬ気がするぞ」

「……いいの、それでも。ほんの一時でもボクが好きな服を着られたら」

そう言って、小さな白い手はページを一枚めくった。

 

 

 

 仮縫いが終わった白い布を脇に追いやった俺は、濃い青緑色のスカートに同じ色のフリルを縫い付ける作業を再開する。部屋の真ん前にあるマネキンには出来上がったばかりのドレス。紺色の、黒いフリルが散りばめられたソレは、愛おしい少女(お人形)に捧げる為のモノだ。ほんの少し前までは縫うことさえ苦戦するレベルだったのに、今ではほんの少しだけならレース編みさえこなせるようになった。これが上達して行き着くところまで行ってしまえば、と邪なことを考えてしまう。尤も俺は絵が下手で、デザインする力など無いので本で見たものを真似るくらいしか出来ないのだが。

 

 

 

 縫うことには慣れている筈なのに、また針で指を刺してしまった。スカート本体は全て縫い終えているのに。少しでも終わらせれば、また彼女のもとへ行けるのに。そう考えながら、俺はまたひと針ずつ縫っていった。控えめな色のフリルをぐるっと一周させるようにして。ゆっくりと。

 

 

 

 この屋敷は数ヶ月前にアイツから譲り受けたものだった。今は定食屋(ダイナー)の店主を務めているアイツと、その下働き二人が住んでいた。その前に誰が住んでいたのかは分からない。だが、少なくとも半世紀以上経っているようには見える。古くなったからこの屋敷を捨てて新天地へ引っ越す、という訳ではないらしい。郷里(クヴェリオ)へ戻って自分の店を持つ、という夢を叶える為に手放したのだそうだ。俺が愛車で丘を通りかかったその日は、引っ越しの為に三人で荷物を車の中に運び出していた。何事かと思い、近づいてみると、

「こんなとこで何してんだ、てめえら」

「ああ、我々は今から引っ越すんですよ。遂に長年の夢が叶いそうなんです!郷里の皆にこれで美味しいモノを食べさせられます!その為にもこいつら二人には頑張って貰わないと」

彼はにっこり笑ってそう言った。少し離れたところには、十二歳くらいに見える少女と、青い龍の子が重たそうなダンボールを運んでいる。

「アルコルさぁ〜ん、重いですぅ……。重くて重くてジャネットもキロンさんも死んじゃいますぅ〜……」

「もうちょっとで終わるったってぇ、オイラもジャネットも休みナシじゃ死んじゃいますよぉ」

「……ったく、しょうがねえ。今から十五分休憩だ。その間に水飲むなり用を足すなりしてきやがれ!」

そう言われた二人は屋敷の中に駆け込んで行った。ジャネットは紅いミニスカートのフリルと栗色のポニーテールを揺らし、キロンと呼ばれたチビ龍は尻尾を揺らしながら。

「折角だから手伝ってやろうか?」

「い、いえ……。貴方様のお手を煩わせる訳にはいきません!こちら側の問題ですから……」

「……そこはお言葉に甘えとくモンだぜ?」

「……分かりました!ではよろしくお願いします!」

アルコルは深々と頭を下げた。これが傲慢のクソ野郎であったならば、恐らくは足で頭を踏み付けていた可能性も低くはない。が、一生懸命働いている彼らにそんなことは出来ない。

「で、何を運べば良いんだ?」

 

 

 

 

 あれよあれよという間に引っ越しの手伝いは終わり、元から広い屋敷は更に広くなった。が、あまりにも古いせいでこの家は中々買い手がつかなかったらしく、

「貴方様が引き取って下さるのでしたら、これくらいのお値段でよろしいでしょうか……?」

「こんなボロ屋に……。高すぎやしねぇか?」

「では、少々負けてこれくらいでいかがでしょうか?」

俺は提示された値段を見て一瞬考え込んだが、

「……しゃあねえ、それで手ェ打ってやらあ」

その時の彼は妙に嬉しそうな顔をしていた。余りにもムカつく笑顔だったので、俺はバイクの荷台から札束を二、三本取り出し、彼の顔面に叩きつけてやった。こうして、俺は幽世の魔王でありながら、地上の、丘の上の屋敷で暮らすことになった。中はしんと静まり返っているが、玄関には大きな発条式の振り子時計や、蓄音機が残っていた。長い廊下の真ん中程にあるチェストにはダイヤル式のアンティークな電話がある。かつて家主の部屋だったであろう広い部屋にも最低限の家具は残されたまま。二人くらいは余裕で寝っ転がれそうなベッドに腰掛けると、俺はそのまま眠ってしまった。久々のベッドがあまりにも心地良かったからだ。今まで寝袋だったということもあり、塒を手に入れた時の嬉しさはひとしおだ。

 

 

 

 数日の間は中々に平穏で退屈な暮らしをしていた。元からあてもなく旅を続けるような根無草だったからか、帰れる場所があるというのは有り難い。が、それでも行く先々で金持ちから巻き上げた金や、闘技場で荒稼ぎしたファイトマネーが、家具や日用品、食費などで消えていくという事実が覆ることはなかった。それでも、俺一人の時は確かに空っぽのままだった。俺以外の声が聞こえない、そんな夜を何回過ごしたことだろう。変化が起きたのは、あの小さなクロがやってきた日だった。当然その時は俺にも「ルナ」という名前は無く、彼女にも「クロ」という名前は無かったが。いつものように森の向こうの街(フィニア)へ買い出しに行った時のこと。その日は濃い灰色の空で、今にも泣き出しそうな濁った色をしていた。肉やらなんやらの食べ物を買いに行こうとして寄った、小綺麗な肉屋に立ち入ろうとした矢先のこと。小さなチョコレート色の、犬とも兎ともつかない生き物が軒下で雨宿りをしていたのだ。頭には三本の角、頼り甲斐がありそうに見えて貧弱そうな爪。地面まで着く長い耳。彼女はソレでドアの取手を掴んで開けた。恐らく俺の尻尾で同じことをしても無理だろう。それどころかドアを破壊してしまうだろうし、何よりこの尻尾はそこまで柔軟に出来ている訳ではない。金属質のこの尻尾はいつも俺の足を引っ張っている。

 

 

 

 

 店の中に入ると、彼女はまるでケーキのように並べられた商品をじっと見つめていた。ショーケースの中身はケーキなどではなく、腑(ハラワタ)のような色をした肉の塊ばかりなのだが。中には本物の腑も確かに混じっている。滴り落ちる血のような紅以外にも、白くて気持ち悪いモノが。とはいえ、火を通してしまえば同じこと。俺はいつものように、適当に捌かれた大きな肉の塊を購入し、店を出て行った。ドアを開けた時には雨足が強まり、煉瓦の道に、街路樹に、民家の屋根に。大粒の強い雨が容赦なく降り注ぐ。そのまま急いで帰ろうとした時、小さな足音が聞こえてきた。さっきの兎だ。彼女は自分の身が雨で濡れるのも厭わず、俺のもとに駆け寄った直後に倒れてしまった。

「お、おい、大丈夫か、てめっ……⁈」

額に触れると熱い。ぐったりしている。仕方がないので俺はコイツを家に連れ帰り、看病することにした。愛車を猛スピードで駆り、屋敷へ着くなり即座に兎を革張りの赤いソファーに寝かせる。身体に掛かっているのは毛布だけだが、何もないよりかはマシだろう。レトルトの味気ない粥を用意し、水を飲ませてやる。動けないのはまだいいとして、寝ている時は魘されているのか、苦しそうな顔をしていた。少ししてから漸く起きたが、額には汗がつうっと通っている。冷めた粥の椀を見るや否や、彼女はガツガツとソレを口に運んでいく。木の匙で掘り進めるようにして。窓の外は既に暗くなっていたが、雨が止む気配はない。俺が傍にいても、彼女が話しかけようとすることはなかった。目の前のことに、終わるまで囚われているからだろうか。黙々と食べ続け、椀の中が空になった直後、半分くらいとはいえ漸く温くなった水に手をつけた。飲み終わった彼女はこちらを向いて、

「助けてくれたこと感謝する。して、我はここで何をすれば良い?」

真剣で真っ直ぐな眼差しで彼女はそう言った。その時からこの屋敷には一人増えたが、彼女は『中心』になることはなかった。レナータを、アマリリスを拾ってから、この穏やかで凪ぐような日々が動き始めたのだから。

 

 

 

隠し部屋から出てきた時、レナータがクロを抱えて俺の部屋へやってきた。暗い中でも分かる。彼女の髪は月を映す水面のように、或いは真珠のように輝き、紅玉のような瞳は呆っとしながらも、こちらを優しく見つめている。

「……ルナ」

「あ?どうしたんだ、レナータ」

「……上着、ありがとう。ふかふかしてて気持ち良かった」

「そりゃあ良かった。でもそれだけじゃねェだろ?この部屋に来たってことは」

「……あなたに、抱っこしてもらいに来たの」

その言葉に、俺は目を円くした。

「本気で言ってんのか?」

「……そうだよ。ルナはボクのこともう二度と嫌いにならないでしょう?怖いけど優しいひとだもの」

いつの間にか少女はベッドの上に座っていた。薄水色のツインテールはシーツの上に垂れ、サテンリボンのような美しさがある。俺は大きな手で束の一部を優しく掴む。良い香りがする。変わらず何処かのお嬢様が着るような服ばかり着ているが、彼女からすればこれでもラフな格好のようだった。黒にも近い濃い青の、シンプルなワンピース。首元の細いリボンと襟や胸のフリル以外は飾りが付いていない。膝丈まであるソレを、彼女は黒いタイツと合わせていた。白い手は優しく茶色い兎を撫でている。穏やかな笑顔はいつも俺にだけ向けられない。それはもう理解していた、が、

「……ルナ、ちゅー」

驚いたことに、レナータが接吻(キス)をねだってきたのだ。唇だけを互いに付けるだけのそれに、疾しい気持ちなど一片もない。その筈なのに。俺の手は小さな少女の髪を弄り続けている。

「お人形(ドール)、俺がお前を独りにさせないから」その言葉を聞いた彼女は穏やかな、満面の笑みをこちらに見せた。

「ボクはお人形さん、なの?」

「……そうだ、お前は可愛いお人形だからな」

窓の外には白い月が、互いに抱きしめ合う俺達を見守るようにして浮かんでいる。