我は王の姿をいつの間にか見失ってしまったようだ。少なくとも、大きな扉の向こうに行ったことだけは分かるのだが。中にある、地下への階段には灯がないようだった。我は木箱の上にある、取っ手が錆びついたランタンを手に取り、階段を降りて行った。

 

 

 

 冷たい地下墓所への階段を、携えている灯の光だけを頼りに進んでいく。階段に手すりは見当たらず、随分と不親切な造りだと呆れながら歩みを進めていくと、そのうち一枚の古めかしい扉の前にたどり着いた。獅子の装飾を施したノッカーが付いている一方で、鍵は掛かっていない。そもそも鍵穴自体が見当たらない。だが、我の背が届かない程高い位置に、銅色とも焦茶色ともつかぬ色の掛け金があるものの、それさえ外されている。何があるのかも分からないのに、不用心過ぎやしないだろうか。軽く頭突きをして扉を開けると、先程までとは違う空間に出た。床がコンクリートめいた硬さなのは今までと一緒だが、骸骨が床に転がっているのだ。それらは皆一様に小さく、中には赤ん坊と思しきものさえある。完全な形で残っているものもあれば、頭だけ、或いは首がなくなっているものもある。木製の、簡素な椅子に座っている骸骨の膝には熊のぬいぐるみが置かれている。我よりかは少しだけ背が高いその骸の首にはリボンが巻かれていることから、元は小さな女の子だったのだろうか。その隣には赤ん坊と思しき骸骨が揺籠の中に寝かされている。せめてもの慰みにと、おもちゃのガラガラと黄色い塗装のミニカーが一緒に入っていた。更に歩いていくと、同じような骸骨の数が多くなってきた。だが、あまりにも多すぎる。冷たい風がどこからともなく優しく、けれどもじわりと我の身を冷やしていった。我は一目散に、脇目もふらずに逃げ出した。行き止まりは何処にある?オシマイは何処にある?それだけを考えながら。

 

 

 

 行き止まりの直前に見えたのは、金属製のベッドで眠る少女の姿だった。見たところ、ベッド自体は然程古くはないようで、寧ろ新品に近い。金属の上には塗装が施されている。恐らくは白か何かなのだろうが、ランタンの灯が邪魔をしてよく分からない。飾りは一つも付いておらず、僅かな豪華さを感じさせる一方で、味気ないとも思う。細い格子で構成されたベッドの支柱に少女の頭はついていない。白いシーツの上で死んだように眠り続けているだけだ。寝息を立てていることに安心し、我もベッドの上で休もうかと思ったその矢先のこと。巨大な影がこちらに向かって近づいてきたのだ。恐ろしい、全てを呑み込むであろう黒い影の正体は、我々をこの城に招いた張本人だった。

「よくここが分かったねぇ、クロちゃん。褒めてあげるよぉ?」

「き、貴様……!よくも、よくもレナータを‼︎」

「良いこと教えてあげよっかぁ?ここはねぇ、紅い眼の子達のお墓なんだぁ」

こちらが尋ねてもいないのにそう答えるノエルの言葉は楽しげで、

「僕はねぇ、小さいうちに死んじゃうその子達が可哀想だったからさぁ、こうしてお墓を作ったんだぁ。子供達が遊べるようにおもちゃも一緒にお供えしてるよぉ」

「悪趣味な……。何故レナータをここへ連れてきた!その骸達と何の関係がある⁈」

「僕が思うにねぇ、レナータちゃんは沢山の無念を託されて生まれてきた存在なんだよぉ。弱くて大きくなれなかった子達が未来への希望を託したから、レナータちゃんは今の今まで生きてこられたんじゃないのかなぁ」

「何が言いたい‼︎レナータはとてもか弱い女の子だ‼︎目は生まれつき見えぬし、寂しがり屋で我やルナの助けがなければ何も出来ぬ!レナータに手を出すなら容赦はせぬぞ‼︎」

「手を出すつもりはないよぉ?だぁって、僕はレナータちゃんが大好きなんだもの。何も出来ないとしても僕だけは傍にいてあげられる。それに、並の連中よりもこの子の利用価値を遥かに解っているつもりさぁ。だから傷物にするつもりはあっても、躰を傷つける気はないんだぁ」

王は心底楽しそうに言う。目の前に愛おしいお人形がいるからだろうか。我は拳を握り締めつつ、

「レナータを花嫁にでもするつもりか?」

「どうだろうねぇ……ふふふ……」

彼は一度、我の目の前から去っていく。大きな、地震にも似た音を立てながら。何処へ行くのかはわからない。

 

 

 

 一体何をしでかすのかと思いきや、彼は大きな箱を持ってきた。段ボールではない。それを見た瞬間、我の脳裡にバレンタインデーのチョコレートや歳暮、菓子折りといった言葉が浮かび上がってくる。が、菓子が入っている箱にしては明らかに大き過ぎる。艶(つや)やかなそれの蓋を持ち上げるも、我はよろめきバランスを崩してしまった。危うく眠っているレナータの髪を踏むところだったが、中に入っているものを見るや否や、我は息を呑んだ。黒く、丈の短いドレスと、暗い藍色の蝶を象った髪飾りが二つ。ドレスと同じ色の透き通った短いヴェールが一つ。銀色に輝くパンプスに、黒いコルセット。青い雫型の宝石がついたつけ襟。恐らくは目の前にいる王が自らレナータに贈る為に注文したものだろう。丘の近くにある大きな街のブティックでも、ここまで豪奢なドレスは見たことがない。あの店でもイブニングドレスは売っているが、そこまで丈は短くないし、ふんわりとしてもいなかった。どちらかと言えば人魚を思わせるようなシルエットの、それでいて気品溢れるデザインのものが多かったような気がする。

「王よ、貴様は何がしたいというのだ」

「そりゃあねぇ、僕は可愛いお姫様と一緒にいたいだけだよぉ。だから相応しいお洋服を見繕ってプレゼントするんだぁ」

「悪趣味な……」

彼は理解しているのだろうか。そんなものではベッドの上の彼女が喜ぶ筈がないことを。それどころか、彼女は王をますます嫌うだろう。ただでさえここに来た時から泣き出しているし、我がもう長いこと慰め続けているのだから。

 

 

 

 吸血鬼王からは、レナータの服を着替えさせろ、という命令を受け取った。この暗がりの中では、ベッドの脇にある古びたサイドテーブルのランタンだけが頼りだ。我は急いで彼女の服を、質素なものから闇黒の姫君に相応しい豪華なものに着替えさせる。幸い、ドレスを着せることはすぐに出来た。問題はコルセット。彼女の身を起こさなければきつく締め上げることが出来ないのだ。

「起きろ、レナータ」

「……?ここは……」

「コイツで腰を締め上げるからな、キツいだろうが我慢してくれ」

有無を言わさずベッドの上に座る少女の腰を、腰紐で少しだけキツく締め上げてやる。元々痩せ気味ということもあり、本来なら必要ない筈だが申し訳程度に締め上げた。

「……苦しくはないか?」

我が問うたところであまり意味はない。少し頷くのみだった。

 

 

 

 銀色に輝く、踵の低いパンプスを履かせてやった後、ヴェールを頭に被せてやる。これだけでも充分な気はするが、つけ襟やらつけ袖、それと髪飾りが残っている。我は箱の中の髪飾りを一つ手に取り、手櫛で梳かし、解かれた薄水色の髪の一部を編んでやる。これを後一度繰り返すことで、いつもとは違う、伝説や神話の世界で生きる戦乙女のような少女が出来上がった。今の我は王よりも悪趣味なのだろうと思う一方で、似合っているとも感じている。

 

 

 

 王が手鏡を持って来た時、我は変わらず少女の腕に抱かれていた。あの時と同じだった。彼が持っている手鏡は、洗面台の壁にかけられている鏡とほぼ同じ大きさの、楕円形の鏡に取手がついた妙な代物だった。案の定、絢爛豪華な一方で趣味が悪い。金色の禍々しい装飾は見ているだけで逃げ出したくなる。だが怯む必要はない。目の前にいるのは主を辱めようとする鬼なのだから。眠たそうにしてはいるが、レナータは泣いたままだ。目が見えていないので気づいてはいないようだが、我の目は糸のように細くなりつつある。これは、気に入らないものを見る時の目だ。

「指輪も花束もないけどぉ、僕は君のことをいつでも想ってるからねぇ。これで僕達の因果が漸く結ばれる。待ってたよぉ、ずっとずぅっと……」

ノエルはそう囁いた。そして、

「もう何千年も待ち焦がれてたんだよぉ。これで、幽世の王達さえ統べられるようになれば……。紅い眼は美しいだけじゃないんだぁ。ずぅっと僕が護ってあげるからねぇ」

と続けた。その言葉を聞いた我の身に戦慄が走り、同時に怒りの導火線に火を点ける。王はそれでも不死身故の余裕を見せている。そして、

「可愛いお姫様。僕の為にスカートをめくって中を見せてくれるかなぁ?」

「ソイツの言葉を聞くな‼︎」

しかし、彼女は涙を堪えながら命令を聞いてしまっている。正座のままスカートの中身を見せているのだ。丈の短い黒のペチコートごと小さな手で掴み、過呼吸になりながら。スカートの下に縫い付けられたチュールを、彼は大きな手で除け、露わになった白い太腿を優しく撫でる。だが、紅い眼は変わらず泣いたまま。寧ろ勢いを少しずつ増している。

「やめて……。やめてよ……」

「これからずぅっと此処で暮らすんだからさぁ……。そうだねぇ、次はちゅーでもして貰っちゃおっかなぁ?」

小さな少女の声は王の耳に届いてさえいない。そのまま彼は、彼女を持ち上げ、接吻をしようと舌を出す。いや、それ以前に首筋と耳を舐めとっているではないか。愛おしそうに、けれども傍から見れば充分に狂った行為を見過ごす訳にはいかない。我に、もう少しだけ力があれば。そう思い、気づいた時には我の身体が眩い桜色の光に包まれていた。

 

 

 

 何が起きている?周囲には桃色のルーン文字のようなモノが一面に浮かび、我の身体に流れ込んでくる。それが我の身体を創り変えていき、腕を、胴を、足を、耳を、全てを強大なものにした。光から解き放たれた我は、王に向かってただ低い声で一言。

「レナータを、我が仕えるべき主を返せ」

 

 

 

 

 

 

 

かつてあれほど暴虐で、今は誰より優しい魔王は未だに立ち尽くしたままだった。それ程までにレナータのことがショックだったのだろうか。普段の彼からは考えられない量の涙を流し、あの小さな少女のことを想い続けている。何度も何度もブラン達は哀しい叫び声を聞いた。涙混じりのソレは広い食堂の中に虚しく響くだけ。数分程そうしていただろうか。彼は、

「……レナータは渡さねぇ。あんなクソみてぇな奴のところにいるより、俺ンとこにいた方が良い。俺達だけなんだ、アイツのことを護ってやれンのは」

そう言って拳を握り締めた。刹那、彼の身が紫色の光を纏い始め、繭を形づくっていく。出来上がった直後、膨れ上がった光の繭は破裂し、中から鴉とも憎悪の名を持つ黒い天使ともつかぬ翼を生やしたルナが現れた。紫の光のラインで描かれた魔法陣の上には鴉の羽根が散らばっている。彼がその上に降り立つと同時に光が消え、閉じられていた眼が全て開かれた。その眼はスピネルのような紅ではなく、翠玉のような緑色だ。眼光は鋭く、強い意志が感じられる。まるで篝火のようなそれは、執着や愛といったよくない感情を一緒くたにしたものだった。彼にとって、レナータがそれほど大切な人だからだろうか。自分の身体がどんなに穢れていようとも、その腕が血で紅く染まっていようとも。ルナは黒い翼を閉じ、古めかしい扉へ向かって歩いていく。ブランもこゆきも後ろへついて行くが、当の本人は歯を食いしばったまま何も言わない。もしかしたら、既に舌さえ噛んでいるのではないだろうか。三つある全ての眼が暗く澱み、今にも閉じそうだ。そのうち涙さえ流し、口からは血をダラダラと流し始めた。もう痛い程にレナータを想い続けているのだ。報われなかったとしても、変わることのない虚しい愛。それを自覚したのか、彼は邪な笑みをこちらに向けた。

「行くのか……?」

低い声でこゆきが問う。

「クル?」

「答えは一つに決まってンだろ……?」

ルナは再び歩き出した。ブラン達のことを見遣ることなく。行き先はきっとレナータが囚われているところだろう。そこならクロもいる。

「レナータ、泣いてるでーすか?」

「……そうかもな。俺のことさえ怖がってたんだ。でも、そんな思いは二度とさせねぇ。銃(コイツ)はレナータの為だけに使う。待ってろよ、レナータ……」