『ハンチバック』を読みました。



受賞式の言葉を聞いた時に絶対読まなくては、と思った。

何故真正面から障害を扱った作品が2023年になるまで受賞することがなかったのか。


以前『推し、燃ゆ』の感想を書いた時私もずっと同じことを考えていた。


仕事を辞めて手当たり次第ランダムで芥川賞受賞作を読み漁っていた時期があった。

『コンビニ人間』を読んだ後『推し、燃ゆ』を読んだ。

「そのこと」を描いている作品はたくさんあるのに具体名は出されない。

真正面からではなく「そのこと」を起因として生じる物語だけが語られる。


私はそれを「名前を言ってはいけない人」のように扱われていると感じて悲しくなった。


『ハンチバック』では真正面から瞬きをせずに、生理現象で乾いた瞳から涙を流しながらそれでも目を逸らさずに「そのこと」を書ききっている。


嬉しかった。こういう本に出会えたこと。それが芥川賞を受賞したこと。たくさんの人に読まれていること。


毎ページ歓びに震えながら「紙の」ページを手繰った。


私は精神障害者である。


収入の半分以上を障害年金に頼らないと生きていけない。

フルタイムで働くことができない。

それは甘えではなく「体」ひいては「脳」がそう出来ているからである。

そして日本社会が「そういう人間」にまだまだ対応できてないから。

たくさんいるしあなただってそうかもしれないのに。


私には紙の本を読む姿勢を保つ力がある。

しかし紙の本を好きな時に好きなだけ迷わずに買える自由は無い。

普段はほとんど図書館で済ませている。

図書館で読めるものは図書館で。

逆に言えば図書館で読めるものしか選択できない。


例えばこの『ハンチバック』の新書、税込1430円。

私の2日分の食費と大体いっしょ。

それでも今回はどうしてもこの本をすぐに読みたかった。

図書館に入るのを待ってはいられなかった。


精神障害は社会の障害であり、やはり体の障害でもあると思っている。

すぐに疲れてしまう。

体力がない、というよりも消耗が激しいのだ。


同じHP100の人と同じダンジョンに行ったとして、健常勇者は残HP80くらいでクリアできるダンジョンも、障害勇者は残HP1で息も絶え絶え出てくる。

ダンジョンは健常勇者用にしか出来ていないので障害勇者にはダメージが大きい。


しかし障害勇者用にダンジョンを作ったらどうだろう?

それは健常勇者にも優しい世界なのでは?

と常日頃思う。

それで救われる健常勇者だってたくさんいるのでは?


最近私は派遣で働き始めた。

障害者手帳を持っているので派遣元にはそう伝えた。

派遣は初めてなので良くわからないけど障害者雇用率の算定に役立つんじゃないかと思って何の躊躇いもなく手帳保持の旨を伝えた。

そしたら派遣元から「何かあった時に責任の所在がどうなるかという問題があるので」障害者手帳を持ってることは派遣先には言わないで欲しい、とお願いされた。


「何かあった時に責任の所在が」と派遣元の担当の男性は何度も繰り返した。

その言葉の意味がどういうことなのか今でも全くわからない。


私が精神疾患特有の「何か」問題を起こした時にクローズにしていれば全て私個人の責任にしてしまえるから障害があるなんて言わなかったことにしてくれ、こちらは何も聞いてない知らない。

ということだろうか。


以前働いていた就労移行支援施設では、精神障害、発達障害の方が主に通所していた。


彼彼女らは講義の中で真剣に自分の障害特性と向き合い、考えながら言葉にして書き出し、その特性に対して自分で対処できること、周りにも協力をお願いしたいこと、などをびっしりとシートに書き込む。


一人ひとりが「違う」ことを受け入れる素地が出来上がっている、それを自分で努力して獲得している優しい優しい人達だった。


反面、私の友人たちは職場でお局様から陰湿ないじめにあったり、マウントを取られたり酷いセクハラ発言を受けたりしているという話を聞く。


その加害者達の方が私にはよっぽど「精神」障害者だと感じた。


『推し、燃ゆ』『コンビニ人間』を読んでこれは明らかに主人公が今の社会では「障害者」とされる人物像だと思ったけれど、この理論でいうとその前に読んだ『破局』の主人公「私」の方が十分に障害者だと思った。だって怖いんだもん。

(実在の人間を専門家でもない私が乏しい知識で障害者と推測するのは良くないことだけど小説の登場人物は好き勝手考えていいと思っている)


私は誰しも大なり小なりの障害を抱えて生きていると思っている。


「私にはそんなもの一つもない。完璧にやってきたしこれからも問題ない」

というような人は「視野狭窄」という障害があると思うので、いつか足元に地面がないことに気づき、気づいた時にはもう遅くて落ちていっている。

トムとジェリーみたいにワンテンポ遅れて。走っていると思ってたら空中にいるな。

え、空中?

あぁーーーーーーーーーーー………

灰色の猫はいつも地面に自分の形の穴を穿つ。自分の体と度を超えた重力によって。


そうなってしまう人がこういう感想を抱きやすいんだろうか。

『ハンチバック』を読んで「自分が責められていると感じた」という人は是非考えて欲しい。


それは痴漢やセクハラに怒り加害者を責めている人の発言に対し、自分は加害者でないのに何故か責められているような気分になってしまう、その現象ではないか?


あなたが加害者でないのなら、もしくは私を含めあらゆる全ての人が加害者であるのなら、

一緒に怒って欲しいし、怒りの前にある感情に寄り添って欲しいし、一緒に怒りの根源について考えて欲しい。