瞑想は日課ですが
最近は「ボディスキャン」という
身体を意識する呼吸瞑想をしています
先日の瞑想中に深い気づきがありました
小学校5年生くらいの頃
体育の授業中にマット運動していて首を捻挫して以来
いまでも首を回すときに首の左側が痛みます
その日の瞑想中に
ゆっくりと首を回しながら首に意識を向けていると
いつもの角度で左側がキュッと痛んだ瞬間に
左肩から左の肩甲骨にかけて
筋肉がカチーンと硬くなったのがわかりました
「これは痛みへの防御だ」
と直感的に思いました
この発見が面白くて
もう一度首を回しながらさらに身体を観察していると
痛みが出る角度までくる直前ですでに
左側が硬くなっていることに気づきました
まるでジェットコースターの
一番高いところに達する直前のように
首を回しながら
「来る来る来る・・・来たーー痛ーーーーっ!」
この「来る来る」のところで
すでに身体が身構えちゃう感じね
痛くなるのがわかっているから
痛くなる前から緊張しているんだなと思いました
私はストレスを感じると
左の肩と首がこり酷いときは頭痛に至ります
中学生くらいからかなぁ
お医者様には緊張性頭痛だと言われました
ものを持つときや身体を動かす時に
左肩だけ力が入っていることに
ハタと気づくことがいまでもよくあります
ただ右側は全くこらないんですよね
いままでは
自分が左利きだからかななんて考えていたのですが
よく考えたらそれはヘンな話です
左利きだから左肩がこるなんてことはないだろう
しかし先日の瞑想中の気づきで一瞬で理解しました
根拠と言われるとなんともいえませんが
直感的な確信です
痛みに対する恐れが防御として
気がつかないうちに身を硬くする習慣になり
もはや実際には痛みが出ていないのに
痛むんじゃないかという想像だけで
左側を緊張させる習慣になってしまっていたようです
さらに
単に首の捻挫の後遺症の痛みが原因の
恐れや防御や緊張というだけではなく
心の潜在的な恐れや緊張が身体にそのように
表現されているのだということにも気づきました
首を捻挫した小学5年生の頃って
自分が大きく変化した時期でした
自我が急成長し始めた時期というか
人生に恐れるものが沢山生まれ始めた時期というか
生きることに緊張し始めた時期
※思春期ってやつ?
・・そういえば私は
生きること自体にいつも緊張してるな、と
さらにさらにもひとつ気づきがあって
この生きることに対する恐れや緊張が
身体的に表現されている部位である左の首と肩に
「B67(マゼンタ/マゼンタ)を塗りたい」
と直感的に思いました
B67は私が
チャレンジとして1番沢山使っているボトルです
もともと全身用オイルとして
最適と言われているボトルだけど
なるほど私の場合は
私の心に潜在的にある恐れや緊張が
表現されている身体の左肩と首に塗ると良いようです
何故B67なのか?
・・これも今は理解できるが
長くなりそうなのでまた今度にしよう
身体は魂の一番わかりやすい表現手段ですが
ホントにそのまんまやん
↑私にしかわからない感覚ですみません
いろいろ繋がったよ
今回の瞑想中のこの気づきは
私にとって非常に深いものなのですが
とても嬉しいことに
自分の左首の痛みやこりやすい肩
つまり自分の恐れや緊張や防御心に対して
怒りや悲しみではなく
穏やかな労りの感情を感じることです
感謝すら感じる、いつわりなく
痛みがなくなったわけではありません
いまも首を回せば同じ角度で痛みます
ただ痛むことへの防御で身体が緊張することがわかり
緊張してしまう自分を許したので
緊張が緩み少しだけ痛みが和らぎました
結果少しだけ緊張がなくなりました
良い方向への循環が始まったかも
「気づく」ってそういうことですもんね
私にとって瞑想は本当に日々に必要
最近久しぶりにマインドフルネス瞑想に戻っていて
良さを再確認ですよ
このことについてはまた明日にでも書きたいです