後悔などという重たい感情を持ちながら
生きられる程強くない
だから後悔しないように生きる
・・みたいなことを
ずいぶん前のブログに書いた記憶があります
う〜ん、あの頃自分は若かったのか
いまやいくつかの後悔とともに
それでも生きている自分がいます(笑)
図々しくなれたものだ
いつか後悔の気持ちから解放され
後悔なく生きられるのを目指すのか?
それとも後悔と共に生きる道を選ぶのか?
今の私は後者を選びます
選ぶわけではなく
自然とそっちになると思います
だから今の私にとっての「強さ」とは
後悔するようなことをしないで
生きることができる強さよりも
後悔してしまっても
前向きに生きられる強さであり
そういう意味での「強い人」でありたい
重たい荷物をしょいながら
歩き続けられるタフさですね
つまり
後悔という感情を
嫌ったり押し殺したり無視したりしないということ
ここでも「無理強いしない」が役に立つのです
先日は母の誕生日でした
たとえば施設にいる母に
寂しい思いをさせていることへの後悔
本当はそれが母にとっても自分にとっても
真実ではないと思っています
真実は愛しかないのだと
いままで散々経験したし学んできました
ただ
母が寂しい思いをしていること
私が後悔していること
これらをカモフラージュする為の都合の良い真実じゃなく
※そうであればそれは真実ではない
ただ「真実」を
そのとき後悔のない人生になるんだろうな
だから
後悔と共に生きることは
後悔なき人生への架け橋なのでしょうね
母はひまわりが好きなのです〜