大学院という研究機関にいると

 

「専門家」と呼ばれる人の迫力を目の当たりにし

尊敬の念が止みません

 

 

「学問としての研究とは何か」

 

先日のゼミで

先生が話していました

 

 

例えば私が研究している

スピノザという哲学者に関していえば

 

1.スピノザの著作を読み込んでいる

2.著作だけでなく関連書籍も沢山読んでいる

3.そうすることでスピノザの哲学を深く理解している

 

ここまでだとまだ

研究しているとは言えないみたいです

 

 

3に至るまでの1と2のプロセスにおいて

 

自分の好きなもの・興味のあるものを

読んだり調べたりするのではまだ研究とは言えない

 

何故なら自分のアンテナだけで拾うと

どうしても集める情報に偏りが出るからです

 

つまり研究材料の質が落ちてしまうということ

 

お料理だって

どんなに料理の腕が良くても

使う食材の品質が悪ければそれなりにしかならないように

 

もちろん研究においても

自分なりの理解や判断をしてゆくもののですが

 

「自分なり」を導くための材料として

どれだけ偏りなく質の良い資料を集めるか?

 

ここが

学問として研究している人(専門家)にとっては命綱

 

 

具体的には

 

1.正確な情報を有している資料を使うこと

2.一般的には出回っていない所まで含めた

 専門性の高い資料まで調べていること

3.先行する研究を研究していること

 

などが必要になるようです

 

1に関しては

学会で発表した論文に間違いがあったら大問題になるように

研究する人達は同じ研究者の論文ですら

本当に正しいかどうか確認しています

 

2に関しては研究職の方は

こうした資料を手に入れやすい環境にいるので

そこは良いですよね

 

3に関してが一番

一般の詳しい人と研究する人の大きな違いのようです

 

例えばスピノザに関連して

今までどんな研究者がどんな研究をしてきたかを

非常に詳しく調べ吟味します

※これはいま私もやっていることです

 

自分が思いつくことなぞ

とうの昔に誰かがすでに考えてるんですよ(笑)

 

そういった先行研究をくまなく調べ

尊重し

 

そのうえでまだ誰も踏んだことのないところへ

一歩あゆみを進めるのが研究

 

 

「そうなんですね〜スゴーい!」

 

と先生の話を聞いて感嘆のあまり

バカみたいな言葉を発してしまいました(笑)

 

 

「研究する人の迫力」と最初に書きましたが

 

厚みがスゴいと思うんです

 

 

知識量や研究に費やす時間はもちろんですが

それをちゃんと噛み締めているというか

 

ひとつひとつの

面倒だったり興味の薄いことをやり過ごさず

粘り強く取り組んでいる姿勢

 

ちりも積もれば・・のように

一歩ずつ着実に前に進めてゆくからこその

厚みと広がりが迫力を生むのだと思います

 

 

あんなに厚みと広がりがあれば

まったくグラグラしないだろう

 

本当にスゴい

 

スゴいなんて言うのはおこがましいです

 

 

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諏訪大社春宮の本殿

 

チャラくないですね〜

 

チャラくても好きなものも沢山あるけど

本格派の迫力は感嘆するしかない