最近

 

義理姉と話しながら

ふたりして泣いていることがよくあります(笑)

 

 

昨年までの私・今年になってからは義理姉が

母の用事で病院や施設に行く機会が増えたおかげで

義理姉と相談する機会が激増したのです

 

 

一番いい施設に入れてあげたいけれど

そこまでのお金はない

 

自宅に返してあげたいけれど

自分たちの生活もある

 

そもそも母は何を望んでいるのか?

リミットがあるなかで何ができるのか?

 

・・でも

答えが出るのを待っている時間はないのです

 

 

病院や施設に行って

 

そこで働く人

そこに滞在している人

その家族たち

変わってゆく母

 

そういうものを見ていると

 

その人たちがどんな風に生まれて

どんな風に生きて

今ここにいるのかを想像してしまい

 

人の人生とは儚く尊いよねぇ

 

・・とふたりして泣いてるんですよね

 

 

そこには悲しみの感情もあるし

感謝や愛情もあるし矛盾だらけで

 

「やり切れない」んですよ

 

 

このやり切れなさから完全に解放されることは

生きてる限りないと思っていますが

かといって不幸とも思わない

 

むしろ何故か心が洗われてゆきます

 

 

矛盾だらけの心を

やりきれない気持ちを受け入れるとき

 

私達は決して不幸になるのではない

 

ハッピー!とはいかなくても生きていけるように

私達は作られてるのかもしれません

 

 

やりきれない気持ちを受け入れるのに

いまの私には義理姉の存在が大きいです

 

義理姉にとっても私が

同じような存在であれば嬉しいね

 

 

今日のブログはコーラルのテーマだな

 

日常に神聖さを見出す

共感による癒し

 

自分というPCのデフォルトを確認している感じ

 

 

 

IMG_7370.JPG

 

 

北斗の拳のラオウは最期

 

「わが生涯に一片の悔いなし!」

 

と言い残しました

 

アレ絶対

未練だらけの人じゃないとあんな台詞浮かばないし

あんな高らかに宣言しないだろうと思っていたのですが

 

どうなのかな~

 

 

・・・・・・・・・・

 

ブログをお読みいただきありがとうございました

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