数日前から使い始めた

グレーテルのボトルには

 

「虐待を受けた経験」

 

というコーラルのテーマがあります

 

※コーラルを選ぶ人が

 みんなそうだということではない

 

 

私も(今生ではなく)いつかの生で

そういう経験をしたかとは感じています

 

しかしそれでもそのとき

私の尊厳は私の中で何も失われることなく

 

ノアの洪水の後の荒れ野原に

それでも立っていた

1本のオリーブの木のように

 

凛と美しく力強く輝いていた

 

・・としか思えないんですよね

 

何故かは知らねど

 

 

こういうのを才能っていうんだろうな

 

頑張らなくても持ってるもの

 

 

洪水のときは

そのオリーブの木を守ろうとすら

考えていなかった

 

他に守りたいもの(傷つきたくない自分)が

たくさんあって

オリーブどころじゃなかったから

 

逆に

そのオリーブが残ったことで初めて

それが私の宝物(才能)だと知った

 

宝物は守ろうとしなくても

決して失われないし傷つかないことも

 

 

宝物に優劣はない

 

ここでは誰もが平等です

美しくたくましい自分がある

 

水と光はタダで与えられます ←これが聖霊の役目

 

・・今(今生)でも

そのオリーブの木が常に内にあると感じるから

 

くじけそうなときにそれが救いになります

 

 

それは

晴れた日の空の光というより

雨雲の切れ間から射す一筋の光

 

その光が

荒野に立つ1本のオリーブを照らす

 

希望です

 

 

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誰もが自分の内に

オリーブの木を見つけられますように

 

※見つけられるけどね、遅かれ早かれ

 

被災した方にも

ベッキーにも

舛添さんにも・・あるのよ(笑)