私はコースで
コーラルの「相互依存」を説明するとき
よく二人三脚に例えます
二人三脚には主に
4つの経験があると思ってて
A.自分がつまづいたせいで二人とも転んでしまう
B.自分はつまづいたけど相手のお蔭で二人とも転ばずに済む
C.相手がつまづいたせいで二人とも転んでしまう
D.相手はつまづいたけど自分のお蔭で二人とも転ばずに済む
もし自分がこのシチュエーションになったら
どう思うか?多分・・
A.罪悪感でいっぱい「申し訳ない(苦)」
B.感謝でいっぱい「ありがと~(感涙)」
C.怒りでいっぱい「あんたのせいでー(怒)」
D.誇りでいっぱい「私やるじゃん(嬉)」
これが二人三脚じゃなく
自分ひとりで走っているなら
転んでも罪悪感や怒りはないだろう
(自分に対する怒りは時にあるかも)
むしろ
「もっと頑張るぞー」って思えると思う
でも自分ひとりで走って転ばなくても
感謝も誇りも持てないなぁ
(誇りは時にあるかも)
・・なんかつまらないですね
虚しいというか
私の場合は、ですが
みなさんはどうかしら?
多分ここに書いたよりも
本当はもっと心は複雑で微妙です
罪悪感や感謝って
誰かがいて初めて経験できる感情ってこと?
怒りや誇りは
自分ひとりでも経験できるの?
それももっと複雑だと思います
でもホンットーーーは
とてもシンプルだと思います
↑なんのこっちゃ
この相互依存については
試験に向けて
最近やっている西洋史を勉強してても
ホントいろいろ思うとこがあって
「人間は良くも悪くも
相互依存する生き物なのねー」
って(笑)
書きたいけど長くなりそうなので
続きはまた今度
お腹空いたからもう帰るわぁ
この「二人三脚理論(?)」には
上記の4つのパターンにあてはまらない
五つ目のパターンってのもあって
「相手がつまづいたせいで自分は転んだけど
相手は上手く持ち直して転ばなかった」
バラエティ番組における狩野英孝が
これだと思ってて・・
狩野英孝はよくスベる(つまづく)
けど必ず誰かがそれにツッコんで
笑いにしてくれる
そのおかげで
狩野英孝が面白いように見える
(上手く持ち直す)
時にツッコんでくれた人が霞むほど
(狩野の代わりに転んでしまった)
お笑い芸人さんの
番組中の立ち居振る舞いは
ホントにオーラソーマの勉強になるんですよネ