責任には


「義務」という責任と


「愛する」という責任があると思います


義務は課し、愛は開放します



最近なら

新国立競技場関連のニュースなどで


責任の所在


という言葉をよく聞くけど



責任者が誰なんて決めなくても


おのおのが

愛するという責任をとれていれば


問題は起きないハズ



ただまだ私たちは


それができるほど目覚めていないので

いましばらくは


「責任者は誰々さん」


と義務を課すやり方が良いのかな



ただこのやり方も結局は


おのおのが

愛するという責任をとれていないと


問題を生み出すんですよね



だから今自分がすべきことは・・


義務という責任をとりつつ


愛するという責任に目覚めその責任をとること


・・だと思ってるので


両方の責任のバランスをとりつつ

移行中(のつもり)



そう思えば義務という責任に

(少なくとも)苦しまなくなるだろう


それは大きな前進だと思います



ACIMでもキリストは言います


「(テキストや日々のレッスン等)

本当はそんな規律はいらないのだが

今のあなた方には

まだそれがあった方が良いだろう」





政府・国境・お金・結婚・・

世界になくてもいいと私が考えるもの



ジョン・レノンのように


「国境がない世界を想像してごらん」


いつも想像してますよー



先日観に行った


「美しき緑の星」


という20年前のフランス映画は

そんな世界が描かれてました


面白かったヨ