昨日のブログの続きです


石黒寛子さん

彼女のブログには時々
詩のようなものが書かれるのですが
たまに一人称が

「僕」

なんですよね、男性が使う一人称

その感性は両性的かなって
思っていたんです


私は10代の頃

自分のことを「あたし」と言えず
「僕」って言ってました

社会人になるまで

今も「あたし」は言えない
「わたし」と言っています

「わたし」ならイケるのは多分
女性としてじゃなくて
大人が使う一人称として言えるだけだと思う

※大人は男性でも「わたし」と言うじゃない


自分は身体は女性だけど
中身は半分半分かなと思うことが
昔からあって

もしかして寛子さんも
その辺自分と近い感覚なのかな、とか


寛子さんの作品からは
男性的、とは言わないが

繊細で女性的な男性

が描いているような印象を受けるのです

中性的という言葉より
両性的という方が近い

1人の人間の中に
イイ感じに男女が同居している


展覧会のタイトル Essene Story

エッセネボトルは男女性を統合するという
タントリックイルミネーションボトルです

エッセネボトルのピンクは
「ありのままの自分を受け容れる」色

ありのままということは

自分の男性性も女性性も
分け隔てなく愛する

男あっての女性だし
女あっての男性だし


…なんかね

寛子さんの色彩豊かな作品は

寛子さんの中の男性と女性の
見事なコンビネーションが

ごっつい指と白魚の指が

1本の絵筆を握って描いたように感じました


それにつられて

私の中の男性と女性も
ワルツを踊り出したのね


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お花の後ろの絵

ふたつの丸が
私には細胞の結合(もしくは分裂)に見えるの

ふたつ描かれてることがかえって

ひとつになること

を意識させられる


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余談

自分の呼び方に苦労していた子供時代

外国人が羨ましかったですね

英語なら男でも女でも一人称は
「I」じゃない

なんで日本語はいちいち分けるんだ

そこが素晴らしいとこでもあるけどね~
って(笑)


わたしにとっての「あたし」は

女性というより
下町のお爺ちゃんが言う感覚なんだよね

欽ちゃん、とか