「父よ、1日中ずっと私の心の中にいてください」
「今日、私は私の生命を神に捧げ、導いてもらいます」
というACIMのレッスンを心に定め出発した旅は。
出発直後のだんなさんとの大喧嘩によって・・・
あっと言う間に、父(神)を見失い。
数時間後、友人のお父様が亡くなったとの報せと共に
その友人からの「お父様とかけがえのない旅を」のメッセージに・・・
やっぱり父(神)と共にいたい!という意欲が復活。
夜には、予め予約していたアロマトリートメントの中で
(まさかの)天使カードを引かせてもらう機会があり
「守られているから安心して」のメッセージを受け取る。
更に、翌朝のお風呂に白い羽が浮かんでいた偶然に・・・
父(神)の導きを信頼する気持ちを取り戻す。
帰りがけに(これまたまさかの)
私が生まれ、私達家族がかつて住んでいた場所を訪ね・・・
父と母が今までもこれからも私の心の中にいた(いる)こと
父に導かれていた(いる)ことを思い出す。
帰宅後、母から電話を貰い礼を言われ
(普段私はそういうことをしないのだが)
何故か今回は、それをだんなさんにも伝えたところ・・・
だんなさんの中の優しさが倍返しで戻ってきた(大感激したという意味)。
今、両親は元気だそうです。
つまり・・・やはり完璧だったのです。最初から最後まで。
ただ、本当に大きかったのは
ここに書ききれない小さな小さなエピソードたち。
(笑う、とか、手伝う、とか)
そんな小さなエピソードによって
この旅の登場人物たちがお互いに少しづつ
エゴから愛に心を訂正しあってゆくのを私は目撃したと思います。
このブログに書いたエピソードは
それを確認するための出来事だったのでしょう。
外的な出来事はいつも心を見せるために現れるもの。
でもこれって。
旅が終わって振り返ってるからそう思えるけど
旅の前半はとてもそうは思えなかったわけで。
旅の最中から、もしくは旅が始まる前から
これから出発する旅が完璧になるって確信できるかどうか?
そのような気持ちで出発する旅こそが
存分にその旅を味わい楽しむことができるんだよねー。
人生という旅も
そのようにして存分に味わい楽しみたいものです。
※トリートメントルームにあった天使のディスプレイ
さぁて。
近いうちに撮った写真を焼き増ししに写真屋さんに行かなくちゃ。
データを送るというシステムが
どこでもドアと同じくらい摩訶不思議なウチの親ですので。