馬車はわたしの肉体。
馬はわたしの感情。
御者はわたしの精神。
そして、馬車の中に座っているのがわたしのスピリット。
・・・というグルジェフの有名な説があります。
「肉体・感情・精神・スピリット」という、人間の4つの側面の関連性を
「馬車・馬・御者・中にいる人」に例えて説明しています。
この馬車の行く先を決めるのは、中に座っている人で。
ここは変えようがありません。
馬車本体が行く先を決めることはもちろんないし
(馬車は「道具」であって「意志」はないから)。
馬も決めることはありません。
馬は時に御者の指示に逆らって右へ行ったり左へ行ったり・・・
馬自身の意志もあるでしょうが、そこに「意図」はないのです。
御者は。
自分の「意志」と「意図」を持つことが出来ます。
中に座っている人を無視して
馬をあやつり馬車を走らせることもできます。
しかしそれでは馬車本来の働きをしていないじゃないか。
例えば、馬車の現代版でタクシー。
タクシーの運転手さん(御者)が
乗せてるお客さん(中に座っている人)を無視して走ってたら
クビですよね~。
なのに御者は、自分で行く先を決めなきゃと奮闘して
なんとか馬を手なづけて、なんとか馬車を走らせて
走ってはいるものの
「ホントにこっちでいいのか?」
と、彷徨うばかり。
御者よ。
この馬車の行く先をあなたが決める権利はないのです。
行く先は中の人に聞きなさい。
・・・と、わたしはわたしに言ってあげたい。
さらに。
御者よ。
行く先を決めることが出来なくても
あなたの役割が奪われることはないのです。
馬をあやつり、馬車を安全に走らせ、中の人を目的に運ぶという
大切な役割を与えられているのです。
もしこの馬車に御者がいなかったら、馬車はどうなる?
だから御者よ。わたしにはあなたが必要なのです。
くーーー。
自分で書いてて泣けてきた。「あなたが必要」だって(涙)。
そして御者よ。
馬車を自在にあやつることは楽しいでしょう?
ならば好きなだけ馬車を走らせることを存分に楽しみなさい。
by 中に座っている人の言葉
「小さな自分の死」とは
わたしというこの馬車から御者がいなくなることではなく
行く先を決める権利を中の人に返すことなんですね。
※私はF1が大好き。
ドライバーはコースの設計はしません。
決められたコースを0.01秒早く走ることに命かけてる。
「このコースで如何に早く走るか!?」
それだけでも、めちゃくちゃ楽しいし走りがいがあるんですよねー
(走ったことがあるわけではないが、笑)