わたしは○○をするのがどーしても苦手。



・・・えーと。


「○○」と書いていると臨場感がないので、仮に「毛虫」としましょう。


※これなら季節的にも合うし、本当に大の苦手なので




わたしは毛虫がどーしても苦手。


生まれてこのかた一度も好きと思えたことがありません。


そんな私の目の前に今、毛虫の大群がいます。



オーラソーマなど学んでいると「すべては必然だ」と言います。


「目の前に現れるすべてはあなたに

無条件の愛や慈悲を教えてくれる存在なのですよ」。


・・・となると、私はこの毛虫を愛さなければいけないのか?

それが目の前に毛虫が現れた必然なのか?


そうして毛虫を愛せない自分を否定して苦しみます。


スピリチュアルな探求の第一段階でありがちかも。



これが第二段階に突入すると。


「ありのままの自分を愛しなさい」になって。


だとすれば

毛虫を苦手とする自分もありのままに愛していいのか?

毛虫を嫌いなままでいいのか?


そうして毛虫を愛せない自分を愛し始めます。



今、私の目の前にいる毛虫の大群。

大いなる意志よ。これは私が・・・


毛虫を愛しなさいということなのか!?


それとも毛虫を愛さなくても

そんな自分を愛しなさいということなのか!?




そんなこんなで最近苦しかった私ですが

限界だったのか、今朝起きた瞬間


「ギブアップ。もうだめ。誰かなんとかして」と心で叫んでいました。



つまりその瞬間私は毛虫を愛せない自分を赦したのです。


※だって、毛虫を押しやろうとする手の力を緩めたということだから


それは(意図せずとも)毛虫の存在を赦すということでもあります。



そしたらねー。


毛虫たち、勝手に去ってゆきましたー。


・・・というか、消えました(笑)。



ああ、これが奇跡を目撃することであり「幻想」ってことなのね。



でもまあそれでも毛虫は大の苦手ですが。


※毛虫の写真に触れるのも絶対いや~



青空ボトル


桜の下で遊ぶと毛虫が落っこちてくるぞぉ。