倍音の月2日・KIN67青い月の手
GA B31(Asaliah) / HA B48(Leuviah)
昨日のブログを書いた後で感じたこと。
自分は必要であれば人に対して怒りをぶつけることもできるんだと思ってましたが
そうじゃないかもしれません。
私がかつて激しく怒りをぶつけた3人
(小さな怒りはもっとたくさんの人にぶつけてる、笑)。
彼らに怒りをぶつけられたのは
ぶつけても大丈夫な人たちだったからでした。
(もっと正確に言えば、ぶつけても大丈夫と私が判断した人たち)
さらにそのときの怒りは
彼らのした行為に対して怒りを覚えたのであって
彼ら自身ではありませんでした。
・・・今生においてわたしが一番怒りを覚えた「人」。
その人に対して怒りをぶつけたことは一度もありません。
何故その人にはぶつけられなかったのか?
(妄想上では何十回もぶつけてたのに、笑)
誰かの「行為」よりも「存在」に対して怒りを覚える方が
よほど恐ろしかったんでしょうね。
もしその人に対して怒りをぶつけたら
その人に一生癒えない傷を負わせてしまうかもしれないと思うと恐かった。
その可能性があると薄々感じていたんでしょう。
・・・てことは嫌いじゃなかったってことなのよ、今思えば。
誰かの存在に怒りを覚えるということは
自分という存在に怒りを覚えてるということですから。
相手にぶつけられない分、自分の内側では
はらわた煮えくり返るほど怒りというか憎しみが渦巻いて
いつかこの人をどうにかしてしまうんじゃないかと自分が恐ろしく
その人から離れることを試みたりもしました。
離れると怒りが収まったかと錯覚するのですが
顔を合わせるとまた完璧な形で怒りが戻ってくるの繰り返し。
しかし後日癒しが起きました。
私が私を少しずつ受け入れ始めた時
真っ先にその人に対する怒りが薄れてゆきました。
いや、怒りが薄れたというより愛に変わったという感じ。
いまや。
この世で一番大切な人の筆頭です。
必ずしも怒りを外にぶつけなくても良いんですね。
雨を降らせなくても地を固めることもできるのか。
怒りを愛に変換できればよい。それらは同じもののふたつの側面ってこと。
その人は私がこの世で最初に目を合わせた人。
くそーあんなヤツが最初だなんて(笑)。良かったよ、鳥じゃなくて。
さて、明日は富士山を拝みに出かけます。
聞けば明日は獅子座流星群だそうですよ、晴れるといいなぁ。