月の月6日・KIN247青い宇宙の手
GA B85(Lecabel) / HA B39(Lauviah)
被災地現場では、9:00~15:00が作業時間と
ボランティセンターから定められました。
田んぼから取り除いた様々なものはこうして側道に積んでおく
午前中は晴れて暑かったけど
お昼休憩中に小雨が降ってから急に気温が下がって午後は薄曇でした。
無心で働いて、作業が終わり、帰るために
バスが停めてある中学校の校庭までのろのろ歩いていると
どんよりした雲の隙間から薄日が射してきました。
それを見て最初は
「ここにはなんにもないなぁ」と思いました。
家も道も木々もない。
でもそういう「モノ」だけじゃなくて、この空間自体にもなんにもない。
そして・・・・・・・・・・苦しみもない、と。
・・・そのとき、ここにはすでにカルマすらないと感じました。
あのとき、家や木々と一緒にカルマも流されたのか。
・・・そしてその次の瞬間
薄日の射す曇り空にわたしはたしかに「希望」を見つけた気がしたのです。
遠くに海が見える
パンドラの箱。
「誘惑に負けて箱を開けると
世の中の様々な厄災が箱から飛び出してしまった
しかし最後に希望が残った」
※タロットの「塔(タワー)」から「星(スター)」へと繋がるあたりの感じ
被災を体験しつつここに暮らしている人。
壊れた校舎。
そういった「モノ」や「人」からは
まだ悲しみやなにやらを感じてしまいました。
でもそれらのモノや人すらも、希望(光)に満ちた空間(世界)の中に在るのです。
私にはそう見えたのだけど。
そして帰りのバスの中あたりからでしょうか。
私の中にも不思議な感覚が生まれていました。
飄々とした軽やかさ・・・上手く説明できないのですが
どうやら私自身の中でもカルマが消滅したみたいなのです。
泡のように消えて別の次元に行ってしまったようです。
東京に戻ってすぐにボトルを選んだら2本目に100番のメタトロンがきました。
やっぱり。
そんなこんなで戻ってからメタトロンレスキュ-を使わずにはいられません。
何故、被災地でカルマが消滅していたのか?
何故、私自身のカルマも消滅したのか?
等価交換の法則?
様々なものを失うという大きな代償と引き換えに、カルマを消滅させたのか。
いや、でも二兎を追うものは三兎を得る・・・だとしたら?
・・・わかるようなわからないような。
このことについてはもうちょっと考えてみよう。
※今日のブログって超個人的な感想だな~まあいつもそうか