倍音の月19日・KIN239青い倍音の嵐
9のスターの6本のボトルは3枚のタロットカードにも対応しています。
「隠者」「吊るされた男」「悪魔」の3枚です。
そんなことは分かってますよ、一応オーラソーマティーチャーだし(笑)。
でも今日ふと、吊るされた男のカードの絵を眺めていたときに、「この男は私だ!」ということが、それまでの理解とは段違いのレベルで深く私の中に入ってきたのです。
※そういうことありませんか?「腑に落ちてくる」感覚。
男は吊るされていて無抵抗な状態。でも苦しそうではありません。
それは自己を放棄するということ。自分の法則を放棄して宇宙の法則に従うこと。
ACIMでいうところの「お手上げ」状態はまさにこれじゃないか!・・・と、今さらながら気づいた次第です。
このカードに対応する12番は、ブルーに光をあてます。
そうか、ブルーの天に委ねるってそういうことか。
そしてそのリターンとして90番が来るという事は、自己を放棄すればするほど内側から自分が輝くということか。
逆説的だけど、分かるーーー。
私の9のスターの旅において、12番を使ってたときは良かったのだけど、リターンの90番はとても苦しいです。
そこで87番を使い始めました。なんとなく使わずに入られなくて。
でもこれがとても安心させてくれます。
今日、友人とバッハの「マタイ受難曲」を聴きに行きました。
この曲は、新約聖書のマタイ福音書26・27章に、ほぼそのままメロディをつけてるだけなんですよね。
3時間ととても長い曲ですが、前半はキリストが捕まるまで、後半は裁判から死まで、の2部構成になってます。
あれ?私、なんで今日この日にこの曲を聴いてるんだ?と、聴きながら思いました。
演奏中に、この1ヶ月ほどの間に起きたこと・そのことから感じたことが、すべて繋がったのです。
本当に激流のようにドドドドドドドドドーーーーーーーーっとやってきた(笑)。
演奏中にそういう怒涛の気づきがやってきて、思わず手帳に書き残してしまったくらい。
浮かぶことに手が追いつかなくて、ものすごい勢いで書きなぐってました、半泣き状態で。
隣の友人は「(コイツ演奏中になにやってるんだ?)」という怪訝な顔してましたが(笑)。
もう順を追って書いてられないので、とにかくその一部を箇条書きしてみます。
・月曜日に絵を描いていたら苦しくなった
・マタイ受難曲
・キリスト意識(昨日から87番の新しいキリスト意識ボトルを使っている)
・曲を聴きながら父の最期とキリストの最後がシンクロした(同じような死に方をしていたことに気がついた)
・父は神を知っていた ←何故かはあまりにも個人的なことなので省略
・犠牲的な愛
・だから父は苦しくなかった
・「誇り高く生きなさい。神様は見ていてくれる」
・神の栄光の座=メタトロン
・父とメタトロンの類似
・・・本当に不親切なブログで本当にすみません。
「誇り高く生きなさい。神様は見ていてくれる」・・・・・・涙出る。
こんな状態で(悪い状態ということではありません)明日から広島のサロンさんで72の天使のセッションをすること、その後の12月の予定などを思うと、もしかしてやっぱり私は、カミサマの書いた台本どおりに生きてるだけなんじゃないか!?
カミサマの手の平で踊らされてるだけなんじゃないか!?
・・・としか思えません。
・・・ということで明日から広島に行ってきます。
広島に愛と光を降ろす・・・という言い方しかできないけど、私にできる限りのことをしてきたいです。
これも台本どおりなんだよナ、絶対(苦笑)。
なにやら嬉しいんだか悔しいんだかの気持ちです。
↑ どうしても悔しさも出てきちゃうの