電気の月24日・KIN188黄色い律動の星
軽い気持ちで見た映画のおかげで今、心がかき乱されています。
「アイルトン・セナ~音速の彼方へ~」。
1994年のサンマリノGPレース中に事故死したF1ドライバー・セナの生涯を追ったドキュメンタリー映画です。
私は彼の大ファンでした。
好きという言葉では語りきれないほど好きで好きでたまりませんでした。
1989年に、シルバーストーンサーキット(イギリスGP)で奇跡的にピットに潜り込み、セナから直接もらったサインは一生の宝物です!えっへん! ← 自慢
・・・なので映画が公開されていると知ったとき、単純に久々にセナの映像が見たいと思ったんです。
だけど・・・ああ・・・甘かった・・・。
映画はセナのカート時代から最後のレースまでを、レース中の映像や本人・関係者のインタビューを交えながら淡々と追っていくというものでした。
ほとんどの映像は見たことのあるものだったし、最後にどうなるかも分かっているのに。
それなのに1994年、最後のシーズンが始まる頃の映像になると心臓がバクバクして頭がクラクラして、辛くて辛くて見ていられない気持ちになりました。
でもふと気づくと、私の右隣に座っている男性はタオルで目を押さえながらも身を乗り出して見ています。
左隣の女性は、明らかにハラハラするような落ち着かない様子で、でもやはり見ています。
それを見て私も「最後まで見よう」と思い直しました。自分の手をぎゅっと握り締めながら私も見ました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(最後のレースの映像)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
心の中にはあの頃と何も変わらない思いが次から次へと湧き出てきます。
「なんで死んじゃったの?」
「彼の人生はなんだったの?」
「彼は最後に幸せだった?」
「死ぬってなに?」
そしてなによりも「生きるってなに?」
当然のように何も答えは出ないものですから、辛い気持ちのまま映画はエンディングにはいり、海で遊ぶオフの無邪気なセナの映像を半ば呆然と眺めていました。
でも次の瞬間、奇跡が起きました。
映画が終わり場内がパッと明るくなった瞬間、場内から拍手が沸き起こったのです!
「(わああああああああああああん、号泣)」
試写会でもないのに拍手が起きるなんて。
見ていたお客さんは、みんな私と同じ思いだったんだ!
私の両隣の人だけじゃなくきっとみんなが、辛い思いをしながらも最後まで見てたんだ。
だってきっとみんなセナのことが大好きだから。
こうして私たち場内にいた人は、あのときのショックや深い悲しみを共有することて、無意識にお互いを癒していたように思います。
でもね、そのとき思ったんです。
セナが亡くなったことがこんなにも悲しいという事は、それだけ彼を愛していたということでもあります。
私たちは「悲しみ」を共有することで癒されたというよりも、セナを愛していた・「愛」という感情を共有して癒されたのではないかと思うんです。
たとえそこに悲しみが伴っていたとしても。
上映中に全身全霊力はいりまくっていたせいか、帰りの足はもんのすごくフラついていたけど(笑)。
敬虔なクリスチャンであったセナが、最後の朝に聖書を開いた時そこに書いてあった言葉
「あなたはもうすぐ偉大なプレゼントを神から授かるでしょう。それは神自身です」
その日、彼は神に召されました。
なんだか最近「生」「死」のテーマが続いてる。
メタトロンとセナがだぶってしまう。
メタトロンの愛に感謝してるけど、もうちょっと気楽でいたい(苦笑)。