電気の月20日・KIN184黄色い月の種


今日からPPSコース。


面白いもので、数名の方がおとといの朝から現実世界が急変したそうです。


「(私も私もー)」と、心の中で叫んでしまいました。


私は相変わらずあのモノトーンの静謐な世界に居ます・・・・・・・・・・ちゃんと「此処」にいますけどね(笑)。

「アメトーーク」を見て梨のスーパースロー映像に感動するのと同じ感覚で、ディラックの海に足を浸して感動している感覚です。

両方の世界に片足ずつ、ですね。



夕べからメタトロンを使い始めました。

いやぁ・・・・・言葉を失いますね・・・というか、言葉の無力さを思い知らされるボトルです。


青空ボトル


このボトルのことを「影に光を当てる」っていうけど、私からするとちょっと違うんだよなぁ。

影に光を当てたらそれはもはや影じゃないじゃんって思う。

影は永遠に影のままでいいんですよね。


だから、絶望を絶望じゃなくするのではなく、絶望のままでいいってこと?そうね・・・。


癒しとは、絶望を絶望のまま受容することかな?と。

少なくともメタトロンの癒しとはそういうことかな?と、今は思うわけです。


だって私の中にはまだ相変わらず絶望感があって全然消えていないです。

それなのに深く深く癒されているのです。


私は今、その絶望に向き合っています。絶望がそこにあるのをただ見つめています。つまり「同一化していない」ということかもしれません。影は影のまま。


同一化しないことと受容する事は、違うようで同じような感覚なのかな?

こんなこというと恐れ多いけど、「アルファでありオメガである」ってことかな?


・・・なんか今日のブログ、疑問形ばっかりやな。 ←何故か突然関西弁



青空ボトル


もうメタトロンの画像はいいだろうという声が聞こえそうですが(笑)。

でもだってまだ撮りたいんだもん。


あまりの美しさに日々感動してるんですよ、この数日。だから許してくれ。



青空ボトル



先日のブログに書いた「許すことは絶望に直面すること」。

何の本に書いてあった話かというと「モリのアサガオ」です。マンガです。


あ~でもこの話はまた明日にしよう。好き過ぎて書き始めると長くなりそうなので(笑)。