月の月22日・KIN158白い月の鏡


この1年ほどペールカラーを全然選ばないと少し前に書いたような気がします。

最近はその中でも0番から10番までのボトルに限定されつつあります。


0から10・・・。


以前は9番以外はほとんど選ぶj事はありませんでした。

見ていても特に「美しい~」ということでもなく。


初期の頃のボトルってはっきりした色が多いせいか、繊細さに欠けるというか洗練されていないというか野暮ったいというか・・・。

なぁんか昭和臭がプンプンするんですよね(たしかに初期のボトルは昭和生まれだし、笑)


でもあらためてそれらのボトルを選ぶ今、彼らに対する見方ががらりと変わりました。


彼ら(0~10番のボトル)はダサくない!クールだ!と。


※誤解なきように言わせていただければ、大前提として私は全てのボトルが大好きですからね~



彼らには、より「実際に存在している」感を感じます。

しかし同時にその中に神聖さと光も感じます。


以前の私は、それらのボトルの中に光と神聖さを見出してないわけじゃないけど、ペールカラーほどには見出せなかったのかもしれません。


それが何故か分からないけど、今の私はむしろヒューカラーの初期のボトル達にそれを強く見出しています。


初期のボトルがなければマスターボトルも大天使ボトルも生まれなかったんだなーと思うのです(できた順番だけの話だけじゃなく)。


チャンティングをして内なる天使に繋がるほどにグランディングできるということも少し前に書きましたが、その「グランディングした天使」みたいな質をこれらのボトルからは感じます(37番と44番の関係性がまさにそれだ)。


人間の姿をした天使。

または、作業着を着たダライラマ。 


↑ ダライラマって作業着が超似合うと思ってるのですがそんなことない!?


でも実際、世の中には普通の姿をした天使(のような人間)たちがたくさんいますよね。


光に満ちた人が外見や立場が特別でスピリチュアルな思想を持っているとは限らない。

光に満ちた人は、スピリチュアルな思想を持っているかどうかはどうでもよくて、スピリチュアルな存在そのものなのです。


初期のボトルからはそんなイメージを感じ、今私はそういう存在の人を「クール!」だと思うのです。


私もそんな存在になりたいわ。



前に私はヒューカラーのボトルのことを「地上的」と言いましたが、訂正させてください。


ヒューカラーのボトルは地上的というよりも「実存的」なんだと思います。