磁気の月18日・KIN126白い太陽の世界の橋渡し


70番のボトルイエロー/クリア「壮麗なるビジョン」。


使い始めは「気持ちよい感じ~」でした。


ダイアリーを振り返ると、先日パニックさんが起きたのはこのボトルを使い始めて4日目だったようです。

そしてどう見ても、今回のパニックさんと70番に関係があるという直感があります。


いやぁ、久々にボトルを使っていて苦しいっス。


青空ボトル


「あらゆる苦しみの中に、瞬間に喜びを見出す明晰さ」

「アストラルレベルの混乱を手放す」


70番のこのヘンのフレーズがどうも引っかかります。



「すべては自身の選択である。不安にかられるのもかられないのも瞬間の自身の選択による。

マスターとは、あらゆる瞬間にポジティブであることを常に選択できるもののことだ」


まぁたしかにね、私なんぞはポジティブを選択したいと願いながらも、すぅぐにネガの方を選択しちゃうもんね。

まだまだです(当たり前かな、笑)。


アストラルレベルの混乱ってゆーのもね、これだって証拠をお見せできるわけじゃないわけです。

物理次元では別に混乱してないし。

でもなにか混乱・・というか混沌・・・というかがある気がします。


しかしこれはサンジェルマンのクイントエッセンスを使っているおかげか?随分収まりました。



そしてここへきて、マハコハンに対しての理解がぐんと深まりました(なんでか分からんが)。


去年、パニックさんの再発で苦しかった頃、わらをも掴む状態でマハコハンのクイントエッセンスを使い続けました。

ある本に書いてあった「マハコハンのクイントエッセンスは、あらゆるレベルの神経症的な症状をも越える可能性がある」の記述に救いを求めたのです。


しかし、正直よく分かりませんでした(涙)。


今マハコハンを選ぶわけでも使っているわけでもありませんが、ここ数日「あらゆる神経症的な症状をも越える可能性」としての個性化のプロセスというものが、なんだかすごーく腑に落ちてきているのです。


そしてそれが「壮麗なるビジョン」なんだということも。

それが私がシツコク言っている「超越したイエロー」なのですヨ。


「個を越える」とは、「私」という個の意識がなくなることではないのです。

「私」を意識することすらなく今この瞬間に存在しているときこそ、そこに最高の「個の私」がちゃんと表現されているのよね。


日常生活の中でも、自分を意識していないときの方が自分らしさが出てたりしませんか?



まだ私の中でパニックさんを呼ぶ「恐怖」がなくなったわけではありません。

ちょっと気を緩めるとすぐに顔を出しかけるので、瞬間瞬間に意識を持ち、出てきそうになるとその「壮麗なる私」を思い出そうとしています。


「神との対話」の中でも、「新しい意識に移行するときは最初は、瞬間瞬間の自分の意識を見張っていなくてはならない」って、カミサマも言ってたしな。

著者のニールが「それは疲れそうですね」とカミサマに聞いたら、「最初はそうかもしれない。しかしそのうちそれが当たり前になる」みたいなことを言ってました。



「神との対話」面白いヨ!