宇宙の月13日・KIN92黄色い磁気の人


今の私、「イニエスタ~」とか言ってる場合じゃない・イニエスタの笑える画像を探してる場合じゃないくらい、やらなきゃいけないことがたくさんあることに気がつきました!やばーい。



7月6日のブログで「自分はいつでも試合に出られるレギュラー選手でいたいんだ」と書きました。

そして7日のブログでは「でも支配できない自分もいる」とも書きました。


そりゃそうだよね。


どんなに実力や才能があっても・どんなに練習しても、試合に出る選手を決めるのは自分じゃなくて監督だもんね。監督に選ばれなきゃ試合には出られません。


私はそれが恐いんです。


試合に出られさえすれば、たとえ負けようと恥をかこうと悔しい思いをしようと、生きてる実感を得られるからいいのです。

でもベンチにいるとき、それでも自分の存在価値を認めるのは難しい。「なんのために自分は此処にいるのか?」。そういうとき私は自分が消えてしまいそうな恐怖に駆られます。


だから、なにがなんでも試合に出る為に(監督に選ばれる為に)、死に物狂いで練習する私。

で、結局故障して試合に出られなくなったりすることもありました、あーあ。


じゃあどうすりゃいいの?


1.なにがなんでも試合に出る為に死に物狂いで練習する


→だからそれで故障したことあるじゃん。それに練習したからって試合に出られるとは限らないのよ。だから練習しなくていいという意味じゃないけど、これは得策ではないから×


2.なにがなんでも試合に出る為に監督に媚びを売る


→そういうやり方で試合に出ても全然喜べないどころか、かえって自分を嫌いになってしまうことは分かってるから、それも×


・・・つまり「なにがなんでも」と考えてる時点で上手くいかないことは分かってるんです。ここがどうしても「支配できない自分」があるということです。

じゃあどうすりゃ・・・


3.サッカーなんて辞める


→こらこら。それじゃ解決にならんでしょ


4.あきらめる


→やだー


5.自分が出ていなくても心から応援できる人間になる


→そういう人は素晴らしいと思うけど、それはなんとなく私にとって一番の解決法じゃない気がするんだよね。だってそれじゃあ何のために人は「その人」として生まれてくるの?「ひとつである」とはそういうことじゃないんだよね~


6.監督兼選手になる(プレイングマネジャーってやつですね)


→これが理想です。


自分が監督だったら、選手としての自分が調子悪ければ選ばないでしょう。チーム全体を見て、試合に勝つために最善のことをするでしょう。そこに私情は一切挟まず、ひたすらチームの勝利に自分を捧げるでしょう。


なんでそんな風に思えるかというと、監督である自分は試合に出てないからですヨ。自分でボール蹴ってるわけじゃないから「オレがオレが」とはならないわけです。


今そんなふたりの自分を想像した時、監督としての自分がすごく25番な感じがしました。そして選手としての自分が51番・・・。んー、でも逆もありですね。


選ばれなければ、選手としての自分はやっぱり悔しいと思いますよ。それはなくならないでしょう。

でも「試合に出られない恐さ」はなくなります。

つまりそこで「自分を支配できない恐怖」を超えることができるのですーーーわーーーすごいーーー。



わぁ、なんかこれを書きながら今たくさんの気づきがありました~。ブログを書くっていいなぁ(笑)。


そうか、じゃあ私は元ヤクルトの古田を目指そう。なんか結論はそんなところに行き着きますた。