宇宙の月10日・KIN89赤いスペクトルの月


昨日の続きですが・・・私は自分の故郷が大好きなんです(あえて何処とは言いませんが)。

だから故郷がいつまでも美しく平和であることを心から願うし、そのために自分にできる限りのことをしたいと思っています。


それが、いつもグリーン(=スペース)を選ぶ私の魂の使命と目的なんでしょうか。だからそういう・故郷を想う感覚がいつも心のどこかにあるのでしょうか。


今私は何かの使命感に駆られています。グリーン(10番)とレッド(6番)を見ていると、無性にそういう気持ちになります、何故か。私、誕生ボトルもグリーン/レッドの28番なんですよね。


その自分はあたかもジャンヌ・ダルクのように、先頭を歩いているようなイメージがあります。手に剣を持って。


この剣も以前から自分自身の象徴としていつも浮かぶイメージなのですが、それは誰かを傷つけるためのものじゃなくて自分を鼓舞する為の剣です。

「故郷の平和の為に自分を捧げます。だから今、自分の力のすべてを此処で出すことができますように」と、この剣に願いを込めるのです。


まるでPKを蹴るサッカー選手がボールに願いを込めるように。



W杯を見ていて思ったこと。


これは例え話ですが、例えば日本が決勝戦まで進んだとします。そしてもし自分が代表選手だったとして


・試合には出られたけど決勝で負けた

・控えでベンチにいたけど優勝した


どちらが良いですか?

私は絶対に前者がいいです。よくはないか、どっちも悔しいけど、でも前者の方がナンボかましです。


今回、中村俊輔がハーフタイムにレギュラー選手の足マッサージをしたり水を運んだりしていたそうです。

そうでしょうね。そうするでしょうね。だって彼も日本がベスト4まで勝ち上がることを心の底から願っていたはずですもん。少なくとも試合に出られていた頃は。いや、試合に出られなくなってからも。


でも、日本がデンマーク戦に勝った時、レギュラー選手と同じように心の底から喜べたか!?・・・・・そんなわけねーだろ。 ←言葉が乱暴になってしまってすみません。俊輔選手の苛立ちに感情移入してるみたいです


なんてことでしょう。日本に勝って欲しいと強く願っていただろうし、その為に実際に働いてもいたのに、いざそうなった時に心から喜べないなんて・・・残酷だなぁ。


私はサッカー選手じゃないから、自分の力で日本が勝ったわけじゃなくても手放しで喜べるわけです。

でももし私がサッカー選手だったら、代表に選ばれてなくてもやっぱり多少の悔しさは残ると思います。ましてや代表に選ばれていたら尚更、自分の力もあっての勝ちがいいです。


だからやっぱり、参加しないといけないんですね。

負けてもいいからせめて試合に参加していたいです。

負けたらみんなにごめんとは思うけど、だから勝つために試合で全力は出すけど、全力でやって負けるのはそれこそ天の計らいだと思うんです。

だからせめて試合に出させてください。


私は自分の人生において、傍観者(ベンチの控え選手)ではなく参加者(試合に出てる選手)でありたいんです。

流れのままにいくのも大事だけど、やっぱり自分の性質として自分の人生の支配者でいたいんでしょうね(これもまたガーディアンエンジェルの51番のテーマだし)。


なので私がカミサマに祈るのは「勝たせてください」じゃありません(それもあるけど、笑)。

勝つかどうかは自分の頑張り次第。

それよりも「どうか自分の力を出し切る場をください」です。

試合にさえ出られれば、勝っても負けても力を出し切れなかったとしても、負けて応援してくれた人に申し訳ないと思いつつも、納得はできます。


「場」かぁ。やっぱりグリーン(スペース)だな。



・・・これが、6番や13番、10番や23番のボトルから私が感じたことです。


故郷への愛と、故郷の為に私が自分の使命をまっとうすることへの情熱と、力を出し切れるスペース(人的にも場所的にも)を欲しているんだということ。