ギター教室を挫折することなく、まだ続けている。最初からの生徒数はかなり減って、今は3分の1ぐらいになっているが、まだへこたれずに習っている。

 小学生もいて、親と同伴であるが二組残っている。小学4年生の男の子と女の子であるが、その女の子がある日、エレベーターのボタンを押しているので、自分が乗るのかなと思っていたら、何と高齢の講師の為にボタンを押して、扉を開けて講師を待っていたのでびっくりしたし、感心もした。なんて可愛い心根の子なんだろうと、本当に感動すらしたのだった。

 

 まるで何も知らないで、ギター教室に申し込んだが、コードというのが有って、そこで挫折する人が多いらしいそうである。確かに左手の指で弦を押さえるのだが、何度やっても上手くいかない。しかし、ふと思ったことだが、私の大きく無骨な手は、案外ギターに向いているのではということである。

 私の手は大きくて、若く痩せこけている時だって、女物の手袋がきつかったのである。特にスキー用の手袋は、結局男物を買うことになってしまったことも有る。

 

 指も太くて、体重が45キロぐらいの時に結婚したのだが、指輪のサイズを電話で問われて、15号だと答えると、絶対間違っていると言われたが、そのサイズは本当だった。

 口の悪い友人に、末端肥大症なんてからかわれたことも有る。

 

 指が太いせいではないが、指輪が苦手なので普段は殆ど着けないが、というか、かつては結婚指輪と称するプラチナか金だけの指輪なんて、在日韓国人の間では結納の際に贈ったりしなくて、と言っても他の指輪、例えばダイヤの指輪は私は貰っている。宝石を着けていないリングだけの指輪は、私の知る範囲ではもらっている花嫁はいなかったように思う。兄嫁だって、ダイヤの指輪は貰っているが「普段に嵌める、シンプルなプラチナリングが欲しかった」と愚痴っていた。

 どうやら、韓国人の指輪と言えばダイヤの指輪がメインみたいである。韓国人は、在日も韓国本国の女性も指輪が大好きで、派手に光る指輪を着けている人が多い。シンプルな宝石の無い指輪をあまり好まないみたいである。

 

 特に大きな手を恥ずかしいと考えたことは無いが、ギターを習いだして、コードを練習する段になって、急に自分の手を眺めると、初めて大きな手の良さを発見した気分になったものである。色々な仕事をして来たが、肉体労働の方が多かった。介護の仕事だと、今はすっかり太った身体が役立って、力持ちでもある。この逞しい腕で、高齢者を何度も抱きかかえて来たのだった。

 

 ピックを使わずに指でギターを弾いているが、指の皮が厚いのか皮が剥けるということもない。

 大きな手に分厚い手の平で、難儀しながらもコードの練習に励んでいる。