私はクリスチャンではないし、キリスト教には詳しくないが、かつてせっせと韓国教会に通っていたことが有る。理由は、ずばり教会のランチで、ある時韓国教会に偶然出入りするようになって、一番驚いたことはランチである、昼の12時になると、全員で昼食を食べるのである。

 11時ごろから、ご飯の炊けるいい匂いがして来て、食いしん坊の私のお腹の虫が鳴り始めると、それまでもろくすっぽ牧師の話なんか聞いていないのに、尚さら話が耳に入って来ないのである。

 

 私が通っていた頃は、ビルの一室に有る教会の階下に韓国料理店が有って、そこから毎回キムチが三種類ぐらい届いていた。時々、その店に全員で食べに行くのだが、私はそこで、初めて韓国料理のジャージャー麺を食べたが、すごく嬉しかった、韓国ドラマの中でしか知らない料理だったからである。

 

 お祈りをしてから、全員で何カ所かのテーブルに別れて座ってご飯を食べるのだが、大勢で食べる楽しみがある。私は韓国からやって来た女性たちのテーブルに座るようにしていて、生の本場の韓国語会話に聞き耳を立てるのだ好きだった。まるで韓国ドラマの中に入ったような気がしないでもない。

 

 私の韓国語の能力は、英語より低い。しかし全然知らないこともないというレベルである。会話は滑らかに出来ないが、ハングルン文字は読めるので、壁に掛けられたディスプレィにパソコンから出力されたハングル文字の讃美歌を追っかけて読めるぐらいは出来る。

 

 と言っても、教会に通う主たる目的は、ランチであった。 

 子供の頃に、姉に連れられて、日本の教会に何度か行ったが、その時はわらび餅とかゆで卵を貰って、すごく貧しい生活だったので、やはりそれらのおやつが欲しくて、ついて行ったのだった。食べ物に弱いのである。

 

 通っていた韓国教会は移転して遠くに行ってしまったが、イースターとクリスマスには、先方からの誘いも有って、今でも年に二回ぐらいは行くが、やはりランチが楽しみである。特にイースターやクリスマスにはご馳走が出る。蒸し豚に韓国のお餅、チョジャンと言って酢とコチュジャンを合わせた調味料を掛けた韓国風サラダにキンパ等々、勿論キムチは大量に盛られている。

 もうキムチを作る実母も義母もいないので、この時だけが、オモニの味を堪能することになる。

 

 いくら逆立ちしても?私には正しい韓国料理が出来ない。強いて言えば韓国料理もどきぐらいは出来ているかもぐらいだが、それも最近はとんと韓国料理には縁遠くなって、コリアタウンに買いに行くのが精いっぱいなのだ。そのコリアタウンだが、従来の韓国のお惣菜が減っていて、若い人たちは持ち歩いて食べられる串刺しのおやつみたいなものを歩きながら食べている。 

 食生活と言おうか食文化と言おうか、急速に変化しているのである。