今日は、ギター教室5回目である。行政の主催で公民館で習っているが、生徒はスタート時より約半分弱に減っている。全部で20回の講習であるが、めげずに最後までやり通そうと思っている。教室には小学生もいて、その子たちは親と同伴で来ていて、どうやら子供をダシにというか、本当は自分が一番習いたいらしい若いパパもいるみたいであるが、見ているとほほえましい。

 

 何故急にギターを習おうかと思い立ったのかと考えて、ふと若い頃を思い出した。

 私の学生時代は、日本では学生運動が盛んだった。今では考えられないほど、学生運動は過激で、大阪の御堂筋では連日デモが行われていて、機動隊と激しくやりあっていたものである。

 ある時、そのデモ隊の中に”半チョッパリ”なんて看板を高く掲げているのを見て、思わず駆け寄ったことが有る。半チョッパリ、パンチョッパリと呼ぶべきか、半分日本人という蔑称である。

 

 その看板を眺めていると、若く多感だった私はある種の感慨に襲われたものだった。まるで私を揶揄しているように思えない事もない。学生時代は、私は韓国名を名乗っていて、何人かから、学生運動に勧誘されたことも有る。高校時代にも左傾化?しているような教師や男子生徒に、政治的に「立ち上がれ」みたいな言い方をされたことも有った。

 でも私はそれらに背を向けて、ひたすらアルバイトとユースホステルを使っての貧乏旅行に励んでいたものだったが。

 

 その頃、アメリカから歌手のジョーンバエズがやって来て、兄と一緒に公演を見に行ったが、後日その時の通訳が、アメリカのCIAに脅されていたらしく、正しく通訳しなかったと糾弾されたりしていた。ベトナム戦争が激化していて、世界のあちらこちらが騒がしかった時代である。

 

 ジョーンバエズは、反戦歌を歌っていて、WE SHALL OVERCOME 我々は勝つぞ、なぞと繰り返し歌っていて、すっかり私はその歌のとりこになったものだった。

 質素な服装で、長い髪を三つ編みにして、ギター片手に反戦歌を歌う彼女は、私に少なからず影響を与えている。

 勇気を出そうなんて思いながらも、さりとて何の行動にも結びつきはしなかったが、どこか心の奥底に、当時の記憶が眠っていて、古希を過ぎてから、むっくりとその記憶が蘇ったのかもしれない。

 

 今はウクライナ戦争があるとはいえ、日本の中は平和である。その上、妙に韓国がもてはやされて、我々が育った時代とは大きく異なる。雲泥の差である。

 何だこりゃ、なんて突っ込みたくなる時も有るが、良い時代になったものであり、喜ぶべきなのだ。

 この平和がずっと続きますようにと、思わずにはいられない。