母の幼友達に、ケイネ、という人がいた。恐らくケイコさんだと思うのだが、慶子(キョンジャ)か(恵子)エージャか、ケイコを韓国風にケイネと呼んでいたようである。

 

 私の母は、1930年昭和5年生まれで、かつて大阪市福島区の大開というところで住んでいたと言っていた。その地で国民学校を卒業もしたと言っていた。そこで”舟の家”という飲食業を営んでいた祖父が私の父を娘の夫にして?家族4人で戦時中疎開して、私が生れた地に引っ越して来たらしいが、そのケイネと言う人は、ずっと大阪市内に住んでいて、綺麗な人というか、派手で華やかな人だった。豊胸手術をしていて、いわゆる素人には見えなくて、母も少し派手な部分が有って、どちらも子供時代は商売人の子供で、金遣いの荒い派手な生活だったらしい。ケイネの父は鉄くず商で裕福な生活だったという。彼女は一度結婚して男児をもうけた後に日本人男性と一緒になったのだが、その男性の名字が、朴井さんだったが、まぎれもなく日本人だったというので、よく覚えている。ケイネが夜の商売、それもママさんをしていて知り合ったらしかったが、朴井氏とは人生の最後まで一緒に暮らしていた。

 

 在日韓国人一世や二世の女性で、水商売をしていた人は多かったと思う。どうしても、日本の会社や店に勤めにくいので、おのずから 夜の仕事になってしまうのだろう。

 

 ある時、私が二十歳ぐらいの頃だが、新聞の求人欄を見ていて、ホステス募集と書いてあったが、その時給の高さに驚いて、思わず応募しようと考えて母に話したら、大層叱られたが、自分の器量に自信が有ったら、その世界に飛び込んでいたかも知れない。

 

 在日二世女性で、標準以上の?容貌の女性はホステスになれるかもしれないが、夫の姉さんは失礼ながらそんなタイプではないので、ホステスではなくて夜の仕事と言っても、裏方の方で、酒のつまみなんかを作る仕事をしていたことが有って「この一束50円のホウレンソウが、調理してテーブルに並ぶと、二万円になる」なんて、八百屋の店頭で、冗談交じりに話していたことが有るが、真夜中に客とホステスに付いて行って、食事をしたりしていたが、そのうちに体を悪くして、透析を受けるようになって、50代で亡くなってしまった。

 夜の商売は体を悪くしがちなのかもしれない。

 

 韓国人は、男はヤクザ、女はホステス、と言われた時代の話である。