洗濯機の調子が今一つと思っていたら、とうとう使えなくなった。二軒の電機屋さんを廻って聞いたところ、水の流れに問題があるらしい。道理で、モーターは元気よく動いていて、脱水だけは出来るはずである。

 洗濯機の耐用年数は7年らしいが、我が家の洗濯機はもう12年も使っている。よく頑張ってくれた。

 年を取ると、まるで家の中の道具を擬人化してしまい、人生の相棒の様に思えて来る。だから高齢者は物が捨てられないのかもしれない。

 もう諦めて新しい洗濯機を買っていて、今日届く予定である。

 

 たかが洗濯機されど洗濯機で、これが人生最後の洗濯機かいな、なんて少し感傷的にもなる。

 終のすみかに終の洗濯機、終の道は何処かな、なんてね。

 

 エンディングノートは、とりあえず書いてある。葬儀は簡素に、宗教的儀式は不要とも書いてある。葬儀の形は多少ともいるのかなと考えて、CDを何枚か用意しているが、アメリカのフォークソングと、中国の女性だけの楽器の合奏曲集である。長男が韓国教会で洗礼を受けているので、そこに韓国語の讃美歌を加えてもらう予定である。それらを葬儀会場に流して、短い葬儀の友としてもらおう。

 

 友人知人と、お寺関係の子弟何人かとは行き来が有ったが、彼らはもう現役を退いているので、私の葬式には関係が無いだろう。だからお経とは無縁であるから、特にお経を避けているわけでもない。

 

 二歳年下の弟の妻が亡くなった時も、弟はアメリカのフォークソングを流して見送っていた。サイモンとガーファンクルのスカボロー・フェアとかサウンド・オブ・サイレンスが流れて来て、日本人妻だった義妹を想うと涙がとめどなく零れたものだった。四十年程前の弟たちの結婚式には義妹の母親だけが来ていたが、でもお葬式には中学の校長をしているという弟さんが来ていた。義妹が家を飛び出した夜、姉が戻って来るのではないかと思い、最終電車の時まで、駅で待っていたと、かつて聞いていた弟さんらしかった。弟と義妹も若く衝動に走った時も有ったのである。そして姉に振り回された義妹の弟さんもいた訳である。

 

 在日韓国人に生まれて、差別がーとか偏見がーとか、なんだかんだと言ったり考えたりと色々有ったが、やがて静々と終の道を歩いて行くのである。

 

 もう少し、頑張ろう。

 でも、洗濯機、よく頑張ってくれたよね、有難う!