夫婦共に30代半ばの頃に、夫が偶然大手企業に就職して、二年間は社員だったが、やがて会社の都合により、社内で自営という形をとって個人商店経営ということになった。いわゆる出入り業者という訳である。あれよあれよという間の人生の変遷である。自分たちは動かないのに、周りが動くのである。

 社員として入社した時点で、給料は40万円ほどあり、びっくり仰天だった。それまでの収入の約二倍ある。バブル景気の時代でもあったが、会社自体がある意味時代の寵児で、会社の慰安旅行に行くと、立ち寄った土産物屋が空っぽになる有様で、パーティともなると、一万円札が空を飛んでいた。上司が部下にふるまうのである。それを見ている私たち家族は、口をあんぐりと開けて半ば茫然自失状態でもあった。それまでの暮らしとあまりにもかけ離れていたからである。

 

 自営になって、更に収入は増えた。不思議なことに、夫が自営する前に私は将来の就職を見据えて職業訓練校に通って、パソコンと簿記の勉強をして色んな資格も取っていたが、それが役立って夫の仕事の経理を担い、それもあって収入も多くなった。

 かつて、まるで二か月先の火事に遭遇するのを予測したかのように、家財の火災保険に入って、数千円の掛け金で百万円余りを得たことが有ったが、何故かあらかじめ備えて置く能力?みたいなものに恵まれているのかもしれない。

 

 二年間は個人商店経営で、その後の十年間余りは有限会社にしたのだが、この設立登記は私が法務局に足を運んで自分でやっているが、その頃オーム真理教が、しきりに法人設立しているなんて、テレビのニュースで流れていたのを覚えている。中年おばさんの私が、自力で法人設立するのが珍しいのか、公証人役場の老齢の女性事務員が親切に対応してくれたものだった。

 

 生まれてはじめてお金には不自由しないし、夫婦で海外旅行にも行ったりと、傍目には順風満帆だが、人生はそんなに甘くない!

 夫の不貞、このことは彼の人生に決定的な汚点となり、今だに私に責め続けられるという苦の種となっているし、次男は金に飽かせて私立中学に行かせたが不登校になっているし、私が肝炎発症して入院と、不幸の連鎖が続いた。

 そうこうしているうちに、会社の内外から思いがけない社会現象が起こり、それが契機となって、夫や他の出入り業者も殆ど撤退という羽目に陥り、我が家の浮かれた生活も終焉を迎えるのだった。

 

 過ぎてしまえば、まるで浦島太郎みたいで、世の中はバブルも弾けて不景気風は吹いていて、我が家も元の貧しい暮らしに舞い戻ってしまった。正しく強者どもが夢の跡で、初老を迎えようとする頃に、世の中にポツンと放り出された気分でもあった。

 でも、貧乏暮らしの方が性に合っているのか、意気消沈したのはつかの間で、すっかり昔の生活に戻り、夫も安給料で働きだし、私も介護の資格を取って10年余り働いて、今がある。

 

 あの贅沢な暮らしは、神様が私たちに与えてくれた、しばしの夢だったのかもしれない。

 人生に浮き沈みはつきもので、めげずにもう少しだが、頑張って生きて行かねばならないのだ。