ずっと貧しい生活を送るだろうと考えていた人生だったが、取り立てて大した能力がある訳でもないが、時には僥倖がやって来る時もある。

 姑の制止を押し切って、この地に越してきてからもう40年以上、いや50年近くになるだろうか。

 遠く他県に嫁いだはずが、又出生地のこの地に戻って来た。但し、夫と生後7か月の息子も一緒だったが。

 

 越してきてからも、夫は相変わらず勤め先を転々としていて、安アパートや低所得者用団地住まいの毎日だったが、夫はある時ある人から面接の誘いを受けた。全く乗り気の無い様子で夫は出かけたものだった。面接先は大企業で、当時色々なことでメディアを騒がせてもいた会社だった。

 韓国籍の自分が働けるような所ではないと、夫は信じ込んでいて、それでも誘ってくれた人の顔もあることだしと、仕方なく出かけたのだった。

 

 面接して後に帰宅して、夫が言うには、先方は是非来てくれと言ったらしい。ウーンと、夫は思案顔である、給料がいいのである。しかし入社するには、住民票とか諸々の書類が必要で、韓国人の我々にはそんなものは無い。でも蹴るには、美味しすぎる話でもある。

 私は「思い切って、韓国籍だと打ち明けたらどう?」と夫に言った。夫がどうしようかとあまりにも考え込んでいたからである。

 後日、断ろうかと逡巡しながら出かけた夫は、実は…韓国人だと話したらしかった。先方の面接者は、私も何度か会っているが、普通の人である。総務の仕事をしていて、政治的な考えがある人でもなく、妻と子供二人の会社勤めの人であるが、こんな提案をして来た。「確かに韓国籍の人の入社となれば自分一存では決め難いが、どうだろう、国籍帰化をする気があるのなら、それまで書類関係は自分一人の責任ということにして、待っていよう」みたいな話だったらしい。

 

 結局夫は入社して、我が家は帰化もすることになった。何だか急に時計の針が動き始めたような気分である。

 1年3か月後に、日本国籍を取得して、住民票などを無事にその面接してくれた人に手渡せたのだった。

 帰化が決まって、法務局からの帰りに最寄りの役所に行くと、新しく戸籍を作ると言って、役所の人が張り切っていたのを覚えている。滅多にない仕事なので、少し興奮しているようにも見えた。

 

 その後、夫は会社の都合で一介の社員という立場を離れて、会社内で自営することになり、やがて個人経営ではなく、法人化までして、時代はバブル経済真っ最中で儲けも良く、贅沢な生活も経験したが、良いことはそんなに長くは続かない。やがて思わぬ社会的な事象の為にその場を離れることになり、元の暮らしに戻るのである。