24歳になって、母が変な事?を言うのに気付いた。

 「誰か、あんたを気にいって、両親を連れて結婚の申しこみをしてくれるなら、嫁がせてもいい」なんてね。

 

 日本人には分からないだろうが、在日韓国人一世にとって、二世の子供はとても有用性が高いのである。まず日本語という言葉の壁が有って、ついつい子供頼りにならざるを得ない。それに日本のしきたりがよく分からないので、やはり子供を色々な場面でこき使う。それが日本人には親孝行と見えるのだろうか、韓国人の子供は親孝行なんて言われるが、必要に駆られての事である。特に女の子は、勉強そっちのけで家事労働にこき使われるので健気に見えるらしく、驚くことに一度日本人男性との見合い話が有ったりしたのだが、きっと姑に尽くすような嫁になるのだと思われたに違いない。その時は迷っている母に兄が「バカバカしい」みたいに言って、話は沙汰止みになってしまったが。

 だから母は娘可愛さというより、生活の便利という理由でも私を手放したくなく、積極的に結婚させようとはしなかった。

 

 その当時、高校時代の同級生の男性から手紙や電話が来ていて、父は手紙を勝手に開けたりしていたので、ひょっとしてと母は思ったのかもしれないが、私にはとんでもない話である。日本人との結婚は怖いものだったのである。これらの事が、そろそろ年貢の納め時、勿論見合いのことだが、と考えていた時にひょっこり現れたのが、今の夫だった。私は別にクリスチャンではないが、聖書の”時がある”という言葉が大好きである。タイミングとでも言えばよいだろうか、時分どき、頃合いというものがある。

 

 今回の見合い相手は我が家にやって来ると言う。私はスッピンの普段着どころか足は素足状態で、寝転んで待っていた。何の緊張感もなかったが、母は仲介者のC夫人が苦手で表情が強張っている。C夫人は、我が家に見合い相手を連れて来るような人ではない格上の人であるのだ。民団内部でも一目置かれていて、親族は金持ちばかりだと思われていた。その彼女が我が家にやって来る!

 

 母が、私に饅頭を買ってくるようにと言うので、私は近所の和菓子店に行って五個買った。それでも余ると思って、帰宅すると一つつまんで食べたが、何とやって来たのは五人だったので、びっくりした、饅頭が一つ足りない。 

 C夫人と見合い相手、その彼の両親に祖父の五人であるが、何でも祖父がC夫人と旧い知り合いらしかった。

 この日の事ははっきり覚えていない。私は失敗を引きずる性格で、饅頭の数が足りないというしくじりで、それが余裕をなくしていたのである。

 

 近所の喫茶店で二人っきりで見合い相手と話したが、青白い顔の大人しい男で、一方的に私が喋ったが、結婚後に夫が言うには「さすがは24歳、世間ずれしたお喋りな女だと思った」との事だった。

 私も向こうも、よもや結婚する相手だと考えてはいないので、私はペラペラしゃべり、彼はしんねりむっつりだったようである。

 やれやれ一件落着なんて考えていたら、この話は終わっていなかった。母がいつものように断っていたと思っていたら、実はC夫人に断りを言い出せなかったのだった。それにC夫人はどうしてもこの話をまとめなければならない喫緊の必要があったのだった。

 

 十日ほど経って、母がびっくりしたような顔でこう言い出した「あの見合い話、続いていた!」。もっとびっくりしたのは私だった「えっ、何で、断っていなかったの?」

 母は、申し訳なさそうに「一度だけ、デートに行って来て」なんて言う。もう日にちも場所も決まっているらしい。

 顔を覚えているかな?なんて思いながら出かけたが、ナントそのひと月半後位に、私は結婚式を挙げたのだから、人生は分からない‼