私の話は、あくまでも在日一世と二世の事なので、全ての人に当てはまるとは言えないが、そうかと言って珍しい話でもないと思う。大体の母と娘には当てはまるだろう。

 

 大体在日韓国人は、息子、それも長男には特別な思いがあるらしいのだが、それに反して娘は雑に扱われていて、夫の伯母は「又オンナが生まれて、本当にがっかりした」と悪気も無く、幾度も4番目の孫が又も女の子だったことを嘆いていたものである。そして5番目にようやく男の子が生まれてバンバンザイで、溺愛していた。この伯母は、嫁いだ娘がお金を借りに来た際には、お金の余裕があるのに、ケンもほろろに「カジャ(帰れ)」と言っていたと、私の姑が言っていた。

 

 姉の姑も、生まれたのが3人続けて女の子だったが、4番目に男の子、即ち後の姉の夫が産まれて大喜びで、その後も二人女の子が生まれたが全く育児放棄状態だったらしく、その姑亡き後に4人の娘(一人は亡くなっていたので)は裁判まで起こしている。曰く「女だというだけで、財産は一銭も貰えないどころか、子供時代は満足に教育も受けさせても貰えずに一人息子と極端な待遇を受けて来た」と恨みつらみを訴えていたらしかった。

 

 私の祖母は、母を5歳まで韓国の弟に預けていて、いわゆる愛着期には接していない。その上、日本で稼いだお金をその弟の息子を養子にして、韓国で家まで買ってやっている。ひょっとして老後はその養子の下で過ごそうと思ったのかもしれないが、知らぬ間にその家は売られていて、祖母は私の父が亡くなってのちに母に同居したいと言ったが、母は断っている。つねづね、母は祖母が養子に貢いでいることを恨んでいて、その恨み節?を私は何度も聞いている。

 母も又第一子の姉を小学5年生まで祖母に託していて、その理由は知らないが、これが息子ならば、絶対そんなことはしないだろうから、母も祖母と似たような事をしているのである。

 

 私は次女だが、姉が祖母宅で育ったせいか、実質は長女みたいなもので、家事労働の担い手だった。母は私たちが幼い頃は幾度も家出を繰り返していて、それは父のせいだと決め込んでいて、その間の子供たちの苦労に思いが及ばないような人だった。私は幼い頃に父に連れられて、遠い他県に逃げた?母を探しに行ったことも有る。

 

 私は小学4年生の頃から家族全員の夕食を作っていた。母は仕事から帰って来ると、疲れて不機嫌で、私が作ったおかずに文句を言うのが日課で、私は毎夕母の顔色を窺っていたものである。食後も当然私が片づけをするのだが、家族はそれがあまりにも当たり前の光景で、今思い返すと、自分が可哀そうで仕方が無い。父は母を働かせている負い目があるので、母には何も言えない。まあ、そのお陰で今でも私は料理や掃除があまりにも身に付きすぎていて苦にならないので、良かったか悪かったかは分からないが。

 

 日本人でもあるだろうが、当時の韓国人は極端な”男尊女卑”だったのは間違いない。嫁いでも次の日から、「舅と姑の老後を見ろ」の大合唱だった。結婚とはまるで婚家先へ丁稚奉公に行くようなものだったのだ。