現在の事は分からないが、私が育った時代は究極の?長男主義だった。と言っても、私は兄を責めたりはしない、むしろ極貧の我が家の場合は、長男主義と言っても甘やかされたり贅沢が出来たりではなくて、その反対で、家というか親と弟妹を背負っての苦しい生活だったからである。

 

 父はやたら兄を叱っていた、何しろ日本の生活の仕方がよく分からないから、いきおい息子に頼らざるを得ないので、何でも兄任せである。特に父は大工仕事が大好きで、バラックとはいえ、自分で家を建てるような人で、日常の暮らしでも、ふと思いついて、そこらへんにパッと棚を作ったりもしていた。そのため大工道具を集め大事にしていたが、例えばノコギリなんかは時々目立てと言って、のこぎりの歯が鈍くなると、店に持って行って、それを鋭くして貰わないといけないのだが、自分では行かずに兄に頼むというか、どちらかというと命令する。しかし兄だって学校に行かないといけないし、帰って来ると、カンテキ(七輪)の火を起こしたりとまめまめしく動く性分だったので、ノコギリの事は後回しにしてしまう。すると父は烈火のごとく怒るのであった。

 

 そんな父ではあるが、兄はただの一度も口答えをせずに父に従っていたが、どうやら娘の私には分からない父子間の感情が有ったのかもと思う。

 父は養豚業と言えば聞こえは良いが、数頭の豚を飼っていて、その餌のために飲食店の残飯を集めるのだが、それも兄の仕事であった。中学、高校と多感な時代でも、兄はせっせと自転車の荷台に一斗缶を積んで、集めに廻っていたものである。傍から見れば嫌がる素振りは無かったが、本音はどうだっただろうか。

 

 家が貧しいので、兄は中学卒業後には就職しようとしたが、父は「お前は勉強をしたくないから、そんなことを言うのだろう」と激しく怒り、兄は泣きながら高校に進学したのだった。

 どうやら、父は身勝手なようでも、兄を大層愛していたに違いない。それが本能的に兄は分かっていての父に対する態度だったのだろう。

 

 晩年父は兄の為にかつて豚小屋を設けていた場所、借地だが、それでもあちこち頼んで地上げして整地して、兄が商売を出来るように奔走していて、今の兄の生活がある。勤め先で退職金が出た分は、そっくり兄の為に使っていた。

 

 父は母が入院している時に体調を崩して兄に連絡をして、結局兄に看取られながら亡くなっている。愛する長男に看取られながらの死は、きっと父にとっては本望だったに違いない。

 父の死後、兄は、父が手助けして得た仕事場で、激しく号泣したと聞いている。