スパというのだろうか、巨大な温泉施設が、私が住む市に、かつては有った。24年間営業していたが、もう10年ほど前に閉館している。営業中は無料バスも運行していて、大勢の利用客でにぎわっていたものである。その経営者は在日の人で、私の祖母や母は経営者の父母とは親しく付き合っていたので、私も彼らを幼い頃の思い出として何となく知っている。

 

 男兄弟ばかり数人いて、その中の次男がしっかり者で、私の高校の先輩でもあるが、高校卒業後は東大に行くと言って、三年間東京にいたが、上手く行かなくて、父親が連れ戻しに行ったと聞いている。その彼は駅前に韓国料理店やスポーツジムを営んだりしていたが、やがて建設会社を興してからは事業として急成長して、地元のレンガ会社を買い取って、リゾート産業を始めたのだった。勿論兄弟も色々な事業をやっていて、市内では有名企業になっていた。

 

 私が小学低学年の頃は、その次男は二十歳前後なので私より10歳ぐらい上の人だったはずである。祖母は彼の父親と姓が一緒というだけで世話をして貰って近所に住んでいたので、夜祖母に連れられて、時々その家に遊びに行ったので、次男との接触は有った。先方は多分覚えていないだろうが、ウエイトリフティングの競技で貰ったというメダルの付いたペンダントを首に付けていて、私は抱っこしてもらった思い出がある。

 在日一世の父親は伸線の仕事をしていて、家の前に大きな穴がいくつか有って、そこで作業をしていた。

 

 二世の彼らは当地に住む在日韓国人達の出世頭で、長く盛業を誇っていたものだが、父親が建設工事現場で、作業員の不始末で、60代で亡くなっている。そして三男も亡くなったと、かつて聞いたものである。末っ子は私より一歳下だが、とうに亡くなっている。その彼は中学が同時期に重なるのでよく知っているが、何故かいつもやんちゃな生徒たちに囲まれていたが、当人は大人しい感じであった。彼は兄弟の中で唯一大学の建築学部に進んだと聞いている。

 

 彼らの母親は80代でも元気よく過ごしていて、母と一緒に何度か出会っているが、息子たちは母親には家政婦を付けて、高級外車に運転手付きの生活をさせていた。又、母の話によると、叔父を自分の会社の社員にして厚生年金を掛けてあげている、と羨ましがっていた。彼らは親思いで、親族や私の祖母の様に同族にまで施しをするような人たちだったのだろう。芸人になった中学の後輩にその温泉施設で余興の世話までしていた。

 高級住宅地に家を建て豊かな暮らしをしていたが、今はどうしているのか、情報源の母がいないので分からないが、かつての温泉近くを通ると、いつもある種の感慨に打たれる。

 

 つわものどもが夢の跡、なんてしみじみ思うのである。