小学生の頃は音楽の科目は、ハーモニカが必須だったが、全く吹けなかったので、音楽の成績は悪かった。そんな私が今、ギター練習に熱心である。

 楽器に触れる機会は時々有って、小学4年生の時に担任の先生が音楽室で、ピアノの指使いを個人的に教えてくれて、そのことがすごく嬉しい思い出として残っていて、今でも指使いを覚えている。環境さえ整っていたら、楽器の一つや二つは出来ていたのかも知れないなあなんて思う。

 

 私が育った時代は、ピアノが家にある家庭なんて殆ど無くて、塾に通う子供も勿論滅多にいないし、中学校は3年生になると、進学組と就職組に別れるのだった。就職組の生徒は授業はそっちのけで、優しい校長先生が彼らを引き連れて、校内の傷んだカ所を大工道具を持って修理に回っていたりしていた。そんな時はやんちゃな男の子たちも神妙な顔をして、校長先生の後を歩いていたのを覚えている。校内暴力が取り沙汰されていた時代でもあった。

 

 私が入った進学校と目されていた高校だって、2年生になると、就職もしくは私立の女子短大に進むコースが二学級有って、授業に付いて行くのが辛い女生徒はその学級を選んでいたものである。もっとも現在では全員4年制大学進学を目指しているようであるが、それはそれなりに大変なことだろうと思う。

 

 楽器、特にピアノなんてお嬢様の習い事と決めつけていて、楽器に全く興味は無かったが、ある時多分ビートルズが現れた頃からだと思うが、エレキギターが雨後の竹の子のように湧いて来て?若者は熱狂して、エレキギターの演奏会場に押し寄せたりしたあたりから、テレビでもグループサウンドが流行りはじめ、私も若かったので、それなりに夢中になったものだった。私にも若くて流行りものに熱中する時代があったのだ。

 

 振り返れば、苦悩の多い人生だったような気もするが、今こうしてそこそこ元気に生きていることを感謝しようと思う。

 過ぎ去った青春を追っかけるがごとく、ギターを弾いていると心が静まる。70の手習いではあるが、元気な子供たちに混ざっての練習は楽しい。

 今は、”大きな栗の木の下で”と”キラキラ星”など唱歌の練習だが、そのうちにもっと大人の曲も弾けるだろう。

 

 回り道の多い人生だったが、残された人生の道を出来るだけ充実させて歩いて生きたい。