久しぶりに会食をした。四人でだが、80代が一人、70代が3人である。

 ある催しで、偶然グループになったメンバーで、再度会ってみんなで食事でもとその場の流れで言っていたのだが、そのうちの一人唯一の男性だが、連絡してきて会食をする運びとなったのだ。

 

 私は丁度歯が一本抜けていて、そこに仮歯を入れていて、食事の際には外さないと飲み込んでしまうかもしれないという何とも情けない状態であるからして、他人さんとの会食は気が重いのだが、参加を断るのももっと気が重いということで参加した。

 私以外のメンバーは勿論日本人で、私の事も日本人だと思っているというか、まさか在日韓国人だなんて思いも及ばない人ばかりである。

 

 妙なもので、私の出自を知っている人たちと会う時は、今だに少なからずささやかな緊張感がある。子供の頃からの友人だって、万が一差別につながるような事を言ってしまわないかと気にする人もいるのである。だからそれを察知する私にも、極わずかながらも緊張感があるのである。

 

 今回のメンバーはそんなことは全く関係ないので、無邪気なリラックスした話題ばかりである。旧家の奥さんらしい80代女性は、中学時代からお嬢様学校に通っていたらしく、自慢方々昔話をしてくれるが、私の事を中流階級の日本人主婦と思っているので、何のためらいもなく話を続ける。

 ああ、そうなんだ、傍から見れば私は日本社会の中の平均的で平凡な一介の老いた主婦なんだと実感する。ここで「実は、私は韓国人なんですよ」なんて言えば、場は白けてしまうだろうから、黙って聞いている。

 

 私は生まれて育った所近くに住んでいるので、私の出自を知っている人たちとの付き合いの方が多いので、何も知らない人たちとの会食はそう多くない。どちらとの付き合いの方が気楽で楽しいか?全く互角である。

 特に在日韓国人だからと言って、みんなが心に鎧を被せているわけではないが、私は他者に心の門戸を大きく開けた記憶はあまりない。その証拠に周りから「付き合いが、あっさりしている」なんてよく言われたものである。

 俗に言う氏素性は、人格形成に大きく影響を与えていて、そして今の私がある。

 

 楽しく終わった会食ではあったが、私的にはいつも通りのあっさりした”可もなく不可もなし”の付き合いであったのだ。