親族が集まれば時々昔話をするが、可笑しい話が多い。

 

 私が小学4年生の頃に、先生の「ゴミはどのように捨てますか?」なんて質問があって、私は勢いよく手を挙げると、得意そうにこう言った。「川に捨てます!」  

 先生は思わず絶句したのだろうか、二の句が継げなくて、私の顔をじっと眺めていたものである。実際我が家は近くの川に捨てていたが、当時はゴミなんて殆ど出ない生活だったようにも思う。買い物かごを提げて買いに行くが、もやしは新聞紙に包んでもらい、その新聞紙は乾かしてカンテキ(七輪)の焚き付けに使っていたから捨てなかったし、豆腐は家から持って行った容器に入れてもらっていたし、野菜は根まで丸ごと使っていて、捨てる物は殆ど無かったように記憶している。魚は魚屋さんで買っていたので、下ごしらえは出来ていて、そのまま煮るか焼くだけだった。

 

 今は、何を買って来ても半分ゴミであるが、当時は本当に捨てる物は無かったが、それでも川に捨てるというのはおかしいはずである。我が家だけではなくて、当時堤防の無いむき出しの川べりは、ごみが散乱していて、近所の老婆たちも食べ残しは無造作に川の中に投げ捨てていたものである。

 その後私は我が家が変だと気づいて、他の家のごみの処理を見ていると、家の前に立派な作り付けのごみ入れが有って、ごみ回収の人が、そこからほうきと塵取りで集めているのを知ったのだった。その後は、我が家もごみ収集をして貰っていたような気がするが、よくは覚えていない。

 

 夫の弟の話も可笑しくて笑ってしまった。小学生低学年の頃に、先生が黒板に肉の絵を描いた用紙を貼って「これは何ですか?」なんて言うので、その弟は手を挙げて「それは、コギです」と言ったところ、先生が面食らっていたそうである。コギとは韓国語で肉という単語で、家庭内では普通に使っていたそうである。彼の話に思わず私は吹き出してしまったものだった。

 ちなみにこの弟は背が高く、髪の毛が縮れていて、目の色は焦げ茶色で、年頃になると女の子にもててラブレターがよく来ていたそうであるが、実際の彼は愉快な気取りのない人であって、見た目と随分違っていた。

 

 まだある。姉が言うには、小学3年生の頃に「明日は、チーセなので、学校を休みます」と先生に話すと、先生は怪訝な顔をしたそうである。チーセというのは、韓国語の法事の事であるが、それも全羅南道のひどい方言で、今だに私は正しい法事の韓国語を知らないが、祖母や父母はしきりにチーセの話をしていた。祖母宅で育った姉は、法事ともなれば学校を休むのが当たり前と考えて育ったらしかった。

 

 これらの話を同じ在日の人たちに話すと、みんな似た様な経験があるらしく話題が尽きなくなる。何だかヘンテコな育ちの私達かもしれない。