お金は子供の頃から稼いでいて、今現在もわずかながら稼いでいる。働きには出ていないが、いつでもお金は稼いでいるのである。

 有償ボランティアと言えるのかどうかわからないが、ある研究に協力していて、一年経ってようやく幾ばくかの謝礼を頂いた。それ以外にパソコンでモニター登録をしている所にあれやこれや?していて、こちらはささやかな額の電子マネーを頂いている。他に医療的な有償ボランティアをしていたが、明らかには出来ない。

 

 子供の頃から、と言っても小学校高学年の頃からだが、当時は子供にだって内職をさせてくれる所があって、少額ながら稼いでいた。親に貰うというより、自分で稼ぐ、といった思考経路だったのである。

 中学生ともなると、夏休みには本格的に働いて、姉の勤め先の耳鼻咽喉科系の個人医院に夏休みには目いっぱい、ひと月あまり毎日働きに行った。そこの院長は、私が中学を出ると、姉の様に住み込みで働きに来るだろうと踏んで、それなら早く仕事を覚える方が良いと言って、私は働きに行った訳だった。白い子供サイズの割烹着を付けて、何をするかと言えば、汚物の処理である。当時は綿棒なんかは金属製で、使った後の綿棒から汚れた綿花を外して、煮立った湯の中で炊いて消毒して、新しい綿花を巻き付けるのだった。いっちょ前に子供の患者さんに耳帯と言って、黒いカバーで耳を覆うこともしていた。

 

 高校生になって、飛び込みで頼み込み、飲食店のホールで働いたことも有った。そこの経営者のおじさんが、ご褒美だと言って、橋幸夫のワンマンショーのチケットを下さって観に行った思い出がある。

 

 短大生の頃は、もう学生というより労働者の体で、実に様々な仕事をしたが、ある時アルバイト先で、自分の稼ぎだけで私立の女子大に通う人を見て、感心したものだった。私は高校より低い学費の短大を選んだと自負していたが、自力で私立大学に通う強者もいるのだと思い、まだまだ自分の甘い考えに反省したものだった。

 

 ある時あまりにも勉強せずに短大の単位を取っていないことに気づき、腹の底から恐怖が湧いて来て、今でもその恐怖の感覚を思い出す位であるから、余程怖くなったのだろう。周りを見渡せば、実に真面目な学生ばかりで、教員免許と保育士の資格を同時に取っている人もいて、その学校に来る学生は浪人生も多く、どうしても学歴を付けて職に結び付けようと考える苦労人が多かったのである。私は韓国人ゆえ、どうせ大した職には就けないと生意気に考えていて、ろくろく勉強をしていなかったのである。

 それでも卒業はしなければならない、と窮余の策で、レポートだけで単位を取れる科目に熱心に取り組み、泣き言も付け加えての文章で、担当教師のお情けで、何とか乗り越えたものだった。 

 今にして、あの時もっと勉強しておけばと後悔しきりだが、あまりにも遅い。

 

 私は固い職業に就いたことは無かったので、周囲の人たちには、何だか得体の知れない、何で稼いでいるのかと不審感を持たれていたが、本当はすごく働き者なのである‼