振り返れば、反省と後悔がいっぱいの人生だったと思う。特に子育てに関しては、何の予習や練習も無い事なので、間違いや勘違いが多かった。

 

 随分、自身の母の子育てを批判してきたが、何の事は無い、私だって失敗だらけだったのだ。長男の病気にはなかなか気づかずに、かなりこじらせてからの治療になってしまっている。大きな病院二か所に同時に?入院して、あっちとこっちでの手術を掛け持ちなんてこともしたものである。何とか今では普通に暮らしていて、仕事にも行っているが、親の目から見れば毎日薄氷を踏む思いである。

 

 次男だって、少しばかり多めに稼いでいた時期なので、私立中学に進学する生徒は少ない土地柄なのに、無謀にもお坊ちゃまコースを行かせようと画策して、大コケしてしまったのである。

 元々、出自のせいかセレブに対する微妙な気持ちがあって、憧れでもないと思うのだが、どこか内心忸怩たるものがあったのかもしれない。

 

 次男は合格は無理だと言われていた私立中学に、無事に合格して通いだしたが、段々ズルズルと元気を無くして、一年生の二学期からは行けなくなってしまったのだった。

 それまでとは全く環境も雰囲気も違う世界に進んで、大きく混乱をしたようだったが、よーく観察してみると、得意の算数でけつまずいたらしかった。

 入学試験では算数の出来が良くて、中学で数学の教師に「算数の成績が良かったので、期待しているよ」なんて声をかけられたと話していたが、その結果として、数学の授業中には過度の緊張で、上の空で先生の話を聞いていたみたいだった。どうしても数式が理解出来ないと言うので、プリントを見てみると、加減乗除を理解出来ていない。掛け算と割り算を先にして次に足し算と引き算をするという順番が分かっていなくて、どうしても正しい答えが出て来なくて苦しんでいるのである。

 

 子供の病気も苦しいが、子供が学校に行けないと言うのも大変苦しい。

 私は二人の息子の為に、どれだけの涙を流した事だろうか、きっと大きな池が出来る程流したに違いない。

 なりふり構わずに、あちらこちらと泣きついて、偶然巡り合った元中学教師の先生にまずは親の私が助けられて、そのお陰で息子は”自分の判断で別の道を選び”、親が選んだ道を歩まずに生きていくことで、人生のやり直しをすることが出来たのだった。

 

 思えば、私だって親の選んだと言うか、親は何も指示もしなくて、私は自由に生きて来たが、それが本当は良かったのだと、最近になって思う。

 親は、子供の進む道を遮ることなく、自由に歩ませてやらねばなんて思うが、そう思えるのは大きな失敗を重ねて来たからなのだから、偉そうなことは言えないが。