在日韓国人と結婚した友人がいるが、結婚後はお互いに疎遠になって、会うことも殆ど無くなったが、その友人は二、三か月毎に、何故か私に電話を掛けて来た。私は深く考えずもせずに、ペラペラと近況を話していて、何を話したかの記憶も無いぐらいの心持ではあったが、先方はそうではなかったらしいのだった。

 彼女は、新婚間もない頃に夫が浮気をしたと言って来て、まるで私に責任があるかのように言うので驚いたことが有ったが、同じ在日韓国人というだけで、彼女は自分の夫と私を同一視していたのかもと、後になって考えたことが有った。

 

 彼女の方は子供も二人生まれて、それなりの暮らしの様であったが、私は日々の生活に追われて特に彼女の事を思い出すことも無く、年月は過ぎて行ったのだが、時々の電話と毎年の年賀状とで、彼女との縁は繋がっていたのである。

 

 それが、もう還暦を過ぎて高齢者の仲間入りという段になって、彼女よりは親しい中学時代の同級生から電話が有った。しばらく音信不通だったが、夫とは不和で生活苦のために、ある商品のセールスをしていると言い、彼女が語る苦労話に、私は軽く相槌を打っていたところ、急に私の口調が気に入らないみたいで、というか、あんたも苦労しているだろう、なんて刺々しい言い方をし始めた。

 「○○さんが、あんたの子供が、不登校になり不登校児専門の高校に通っていると、言っていた」

 というではないか‼○○さんは、例の在日男性と結婚した彼女の事である。

 確かに私の次男は不登校になった経験がある、それは事実だが、時期は中学生の頃の事であり、あくまでも!本人の希望で、(本人が探してきて)他県の公立中学に通っていたことが有るのだが、話はねじれて、いつの間にか不登校児の集まる高校の話になっている。その高校はテレビで観たことが有って知ってはいた。

 

 びっくりして、よくよく聞いてみると、私は慢性肝炎のせいで病弱で、気息奄々の生活をしていて、おまけに息子が不登校で遠い所の高校に寄宿していて、不幸のどん底暮らしをしていると思っていたようである。それが明るい元気な声で受け答えをするもので、何だかはぐらかされたような気分になったらしかった。

 

 人の不幸は蜜の味、とはよく言ったもので、久しぶりに電話を掛けて来たのは、セールスの客になって貰えないかと思っていたのと、私の不幸話で、自分を慰めたかった部分も有るようだった。

 私の病気はとりあえず完治しているし、不登校児の息子は立ち直って働いているし、今は平凡な暮らしだと言って電話を終えたが、本当にがっくりした気分だった。

 

 その後、同級生二人の間で、連絡し合ったらしく、在日韓国人と結婚した友人は「娘は母になり、息子は大学を出た」なんて挑戦的な年賀状を書いて来たが、それっきり、二人からの音信は途絶えてしまった。

 私の何がいけなかったのか?と自らに問うてみるがよく分からない。

 そう言えば、ある会合で知り合った年上男性が急に我が家を訪れて来て、普通?に暮らしているのを見て、がっかりして付き合いを断わって来たことが有ったのを思い出した。

 

 在日韓国人が苦労しながら生きていることに、ある意味、”カタルシス”を感じる人たちがいるのかもしれない。

 

*蛇足ながら、”カタルシス”とは、悲劇をみることに依って引き起こされる情緒の経験が、日頃心の中に鬱積している同種の情緒を開放し、それにより”快感”を得る事。浄化。と辞書にはある。