村はずれならぬ町外れに住んでいた子供時代だったが、粗末なバラック暮らしなのに、案外目立っていたのかもしれないとも思う。勿論、我が家が在日韓国人家庭であるからだが。

 

 小学校時代は、さほど同級生との交流も無かったような気がするが、中学に入学して、ある女の子が、私に近づいて来た。何と、私に憧れていた、なんて言うのである。「家の手伝いをしているのに、勉強が出来て、私のお母さんもいつもあんたを見習いなさいと言っていた」なんて、気恥ずかしい事を言ってくれる。その女の子は、目立たない大人しい子で、小学校時代は同級になったことは無いので、よく知らない子であったが、そのうちに中学校までの登下校時は一緒に行動を共にするようになった。

 いつも元気のない様子で、時々気分が悪くなるらしく、テストの日に彼女のせいで遅刻して、学校前で教師たちが心配気に待っていてくれたことも有ったりした。

 高校は違う所に行ったのだが、一緒に各々の学校の制服姿で歩いていた時に「制服を見て、私の学校の方が下とみられるので嫌だ」なんて言われて驚いたことも有った。

 

 さほど彼女の事は念頭に無かったが、彼女の方は、私に興味深々だったのかと、還暦を過ぎた頃に知ったのだから、私も相当鈍い人間だったのかと思う。

 

 私は短大卒業後に、就職につまずいて、あれこれ試行錯誤の末に小さな会社に勤めていて、彼女もこじんまりした事務所に勤めていたが、ある時「あんたと同じ在日韓国人の男性と付き合っている」と言うではないか。どうやら彼女の方が積極的らしい。

 今と違って、当時は日本人が在日韓国人と結婚することはある意味禁忌だった。

 若い人たちには理解できないだろうが、チョーセンジンと蔑まれて、友達付き合いも親たちは嫌がったものである。なんでわざわざ韓国の子と友達になるのかと言われる時代だったのだ。

 

 私が先に結婚して、その後彼女は付き合っている在日韓国人の彼と結婚すると言い出した。その彼は結婚を機に帰化するらしく、「婚約者です、と法務局に一緒に行って、そう話した」と嬉しそうであった。

 結婚式は二人っきりで挙げると言うので、よく親が許したなと不思議だった。彼女の家は貧しくはなく、父親はある仕事の親方をしているような人で、中流階級の生活をしていて、家も持っていたからである。それに彼女は少し翳りのある人で、男の子には大変もてていたからである。何だって、わざわざ韓国人を選ぶのか不思議でならなかった。それに親の反対の声は聞こえては来なかったのも不思議であった。相手の男性は、一度会ってほしいと言われて会ったが、二歳年下で、長身で、ハンサムな部類には入るかな?、といった風ではあったが、よくは分からなかった。

 私には、何だか謎めいた結婚に思えたものだった。