つくづく、平穏で静かな暮らしは続かないなと嘆息する。息子の足を偶然見てから、気持ちが落ち着かない。足の甲にアザみたいなものが出来ているのを発見したのだった。息子は持病があって、片眼が不自由だし、足にも疾患を抱えている。普段は見ざる聞かざるみたいにして、なるべく関わらないようにしているが、息子はその手の会話というか私の心配顔を嫌うので、知らぬ存ぜぬを装っているが、時々風呂上りに素足を見たりすると、大げさに言うと、過呼吸気味になってしまう。

 

 夫も大腸癌なので、頻繁にトイレに行くし、お通じの困難を訴えるという、我が家の状態である。

 なるだけ、過去の楽しい思い出を脳の中に描いたりしているが、そうでないとうつ状態になるみたいで、怖いのだ。実際、老齢になると、初老期には特にうつ状態にりやすいみたいである。今まで出来たことが出来なくなるし、周囲の自分を見る目が変わって来て、特に現役の時は華やかだった人は陥りやすいように見える。自己評価と他人の評価が一致しないどころか、単なる老人の一人という風に世間では接してくるので、プライドが許さないのである。

 

 スーパーのレジで、時々文句をしつこく言う高齢者、それも殆ど男性だが、軽く扱われていることが我慢ならない様子である。濡れたもの、例えばモヤシなんかをそのままかごに入れたなんて、文句を言っている。ナイロン袋に入れるべきだとしつこく言っている。自分は何様なんだと言いたいところだが、本人は自分は特別な客だと思っているのである。恐らく沢山稼いでいた頃は、デパートなんかで上客扱いをされていたのだろうが、今では、ただのお爺さんであるのが分からないのだ。

 

 友人の一人がうつ病で苦しんでいて、時々精神病院に入る。恐らく自死の危険性があると医師が判断して、心配で入院させているみたいであるが、退院してくると、私に電話を掛けて来る。おかしなことに入院したり、家庭内不和が有ると、私を急に思い出して、連絡をして来る友人は多いのである。

 ある時、それは何かと考えて、こう結論したのだが、正解かどうかは分からない。”在日韓国人”という、彼女たちから見れば負の荷物を背負って生きて来ている私が急に逞しく見えて、困った時には相談できる相手と踏んでいる?

 私の友人たちは、教師や公務員、銀行員に商社勤めと、華やかで堅実な職業に就いていて、私はそうではない立ち位置にいて、同情あるいは見下しをされていたのだったが、今現在を見れば、同じ単なるお婆さんという位置である。むしろ私の方が、若い頃と変わらない心持ちで、欲も得もない平凡な暮らしをしているように見えるらしい。

 

 友人たちは、夫との死別、夫の大病、子供の大病、子供の引きこもり、子供の不本意な結婚(これが結構多い)等で苦しんでいる。私だって負けない位色々問題は抱えているのだが、彼女たちから見れば、私の人生は(在日韓国人だったが故に)困難だったはずなのに逞しく生きて来たと考えているようなのである。

 

 何だか、こそばゆい気持ちになるが、なんてことは無い、お互いに”平穏な暮らしは続かない”のである、と言いたいのだが、何故か黙っている私である。