子供の頃から、読むこと書くことで癒されて来た。ゲームも玩具もない時代には、本が唯一の娯楽であったのだ。何しろテレビがない子供時代を生きて来て、初めて観たテレビが街頭テレビで、近くにお城があって、そこの広場で街頭テレビが力道山のプロレスを中継していて、黒山の人盛りの後方で、少しだけ眺めることができたという、今から思えば、なんとも牧歌的と言おうか、不思議な感覚に襲われる。

 

 中年期には、まだまだ出版文化が盛んだったので、色々な所で素人の投稿原稿を募っていて、それが掲載されると、幾ばくかの稿料になるので、私はせっせと与えられたテーマに添って、無論手書きで原稿用紙に書いて送っていた。当時小学生の息子を二人育てながら、夫の事業の経理をしながら、とある法律事務所のアルバイトもするという、八面六臂の活躍?であった。

 

 法律事務所の仕事は、書類を作成して役所に持って行くという仕事で、見よう見まねで和文タイプを叩きながらの作業であった。当時は、パソコンやワープロなんて無かったので、英文タイプや和文タイプが幅を利かせていたものである。

 この事務所の奥さんが英文タイピストだったが、彼女がある時ワープロに出会ったのである。そもそもワープロに初めて手を染める人は、元が英文タイピストが多かった。キーボードに慣れていて、英字というか、ローマ字を熟知しているからである。その奥さんとの出会いで、私は初めてパソコンとワープロを知ったのだ。

 

 この事務所を辞めて後に、私はいわゆる職訓、ショックン、と言われる職業訓練所に入学してパソコンとワープロを学ぶのだったが、これが大げさに言えば運命の分かれ道で、ワープロという武器を手にして、書くことが容易になったのである。今こうして毎日ブログを書けるのも、そのお陰である。

 

 その後は、下手な小説を書いたり、投稿原稿を書いたりと、ほとんどワープロが親友?という生活を送っている。最初は高価だったパソコンも随分廉くなって、おまけに使い勝手が良くなってきて、かつてのパソコンの立ち上げに数分かかった時代が嘘のようである。スイッチを入れてからお手洗いに行って戻って来ても、まだ立ち上げ中なんて時代が懐かしく思える。

 

 孤独な少女時代を癒してくれた読み書きは、老婆の域に達した今の私を尚も癒してくれているのである。