在日の若者を見ると、と言っても三世ぐらいまでだが、心の底に、”悔しさ”が見え隠れしているように思える。例え、日本人に負けないぐらいの高等教育を受けていても、いや高等教育を受けているからこその、悔しさ‼みたいなものを感じる。帰化していてもいなくても、殆どの若者は、日本名を名乗っている。それは何も出自を隠すためではなく、それが自らを表すアイデンティティーなのである。韓国名を名乗る方が無理があって、まるで着慣れない洋服を着ているような気分になるのだ。

 

 私も、世の中の何かに対して怒れる若い頃、短大の出願書類に韓国名を出して、短大の二年間というもの、表向きには韓国名を使っていたことが有るが、居心地の悪い事この上なかった。

 韓国名を名乗っていたところで、韓国語が分からない。それを知らずに韓国語を教えてもらおうと考える人が近寄って来たりしてびっくりしたが、近寄って来た人の方が、私がその人以上に日本人らしくて、韓国語が出来ないどころか、韓国の事を何も知らないことにびっくりしていた。

 

 何だか、私がニセ韓国人で、まるで韓国人であることを売りにしているような、バツの悪ささえ感じたものである。大げさに言えば、罪悪感すら感じたのだ。当時は学生運動花やかで、私が在日韓国人だと知ると、何故か好意を示してくれる人がたくさんいたのである。私個人の人間性より、在日韓国人という添え物?の方が喜ばれる、なんてこともあって、同人誌なんかにも誘われたものだった。そして、在日韓国人の不遇を題材にした小説もどき?は、好評を博し、こそばゆい思いをしたものだった。

 

 当時親切にしてくれた人々には申し訳ないが、その時感じたことは”インテリ左翼系人間たち”のアクセサリーにはなりたくない、といった気持ちである。

 私個人を見るのではなくて、私の付録を見る人たちに、私は距離を置いて生きて行こうと考えたのである。

 

 そして、何故か急に同じ在日の若者と結婚しようと決意もしたのである。貧しく惨めと言うと語弊があるが、同じ悔しさを共有出来る在日の若者と一生を共にしようと思ったのである。私は特段美人でも魅力的な女でもなかったが、若さというものは不思議で、私に好意を示す日本人の男性が皆無ではなかったが、私は彼らを多分、無残に?切り捨ててもいる。

 

 日本人には、与(くみ)しない、なんて、それは私のはすかいの意地、それとも何か、訳の分からない悔しさ?

 つくづく自分の心の狭さがなせることであるが、そうして73年生きて来たのである。