息子に又も、転勤話が起こっているらしい。

 実は長男は、片眼が不自由で、足にも訳あり部位が有る。持病由来の障害なのだが、この話をすると同じ病気の人たちは怖がるので、滅多にしない。実に驚くぐらい、長男の病気の話を恐れるし、長男のプライバシーにも関わるので、余計に話をしない。

 長男は仕事には行っているが、体が不自由なので時々失敗をするらしく、部署を替えられるのである。その都度、我が家はさざ波が打ち寄せるように、静かな葛藤を繰り返す。私の胸の奥のどこかがシクシク痛む。

 

 思えば、私の夫は転職三昧だった。別に好きで転職する訳ではなくて、不安定な職業状態なのである。私の夫だけではないと思う。在日韓国人は、定職に就きにくかった。

 勿論公務員は論外で、大企業だって門戸すら開いてはいなかった。夫は中卒後、大手の企業に就職するための書類を出したが、はねられたと言うので、私はびっくりした。私は、端っから日本の大手企業なんて受けようとも考えはしなかったからで、夫の世間知らずを鼻で笑ったものだった。

 

 夫と私とでは環境が違っていて、夫の父母は、中小企業の工場に勤めて定年まで働いて、厚生年金だって掛けていたので、息子の夫もそれを見習ったのだろう。

 夫は結局水商売を転々とする青年期を過ごしたらしかった。

 

 結婚して3か月ぐらいで、勤め先を替わると言う。まあ在日韓国人の勤め先なんて、そんなものだろうと諦念、諦観?を持っている私は、さほど何も考えずに過ごしたものだった。夫は薄給ながらも、食べて行けるだけのお金は稼いでくれたものだった。

 

 しかし、我が家の長男は帰化していて、国籍は日本なので、就職差別は無いはずであるが、不思議なことに職は安定しない。まるで父親の人生をなぞっているかのように不安定な職業状態で、それでも無職にはならずに薄給ながらも、いつも働いていて、その気力には驚く。そこは父親譲りなのかもしれない。

 

 私だって、細々と様々な稼ぎを繰り返してきている。  

 綱渡りの様な人生だったが、ゴールは近くなって来ていて、さてさてどんなゴールが待っていることやら、楽しみ??である。