この夏に取り壊し予定の実家から持ち帰って来たアルバムを見ると、様々な発見があって、見飽きることが無い。

 

 あるアルバムの表紙には、祝 成人 1971年1月15日、となっている。ネイビーカラーのコクヨフリーアルバムであるが、表紙の下の方に、在日本大韓民国居留民団○○地方本部とあって、1971年は、私が二十歳になった年なので、恐らく私が貰ったはずのアルバムだが、そのアルバムには私の写真が一枚も無くて、全て母の写真が、丁寧に貼られていた。

 

 一番驚いたのは、表紙をめくると、”夢と希望に生きる青年は 永遠の青年である”と印字されていて、その下に、理想と希望に燃え、さんぜんと輝く1971年度はあなたの生涯において、記念すべき最良の年でありますように 祖国大韓民国と在日韓国人は心から願うものであります、と有って当時の団長名が載っていた。

 次のページには、国民教育憲章と在日韓国人教育憲章も書かれている。

 

 実はこのアルバムは、初めて見たが、1971年に私は在日韓国人子弟のための成人式に参加したので、その時に貰ったものだろうと思われる。

 そう言えば、母は私が貰ったものを欲しがる癖が有った。私が家の外で貰って来たものが珍しいのである。丁度、妹が姉の物を欲しがるように、時々すごく私が外から持ち帰って来たものを欲しがるので、何も考えずに母に渡していたものである。”エーダン”と言って、夫の弟の縁談の際に、弟嫁が贈答品として私にくれた布地も、当然の様に母が持って行って、ワンピースに作ってもらい「どう似合う?」なんて悪びれずに見せびらかしていたものである。

 どうやら私が知らない間にこのアルバムを母が自分の物にしていたらしかった。

 そのアルバムには、民団事務所前での大勢でのチマチョゴリ姿の記念写真や、やはり民団主催の旅行の集団での記念写真が多くあり、主に在日韓国人関係の写真を集めて貼っていたようだった。中には知った顔のおばさんが何人かいて、懐かしかった。

 

 何よりも、韓国が、私たち在外子弟を気にかけてくれていたのだ、と知ってすごく嬉しくなってしまった。大方の在日二世は、韓国は何もしてくれないと思っているが、そうではなかったのだと、再発見した気になった。

 中学3年生の時に教師が韓国からやって来て、韓国語を教えてもらった時の、あの素直に嬉しかった気持ちを思い出すと、何だか胸に迫る温かい気持ちに目頭が熱くさえなってしまった。

 それに少しばかり、在日一世の望郷の念が分かるようでもある。

 

 さてさて、そう遠くない時期に一世たちが旅立って行ったところに合流する訳であるが、私の魂は、果たして何処を彷徨うことになるのだろうか?韓国か、日本か、どうだろう?